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講話 東京パラ柔道男子60kg出場 平井教諭 

東京パラリンピック柔道男子60kg出場
本校理療科 平井孝明教諭の講話。
心に響くキーワードがいくつもありました。
多くの方に聞いていただきたいと感じました。

【教諭 平井孝明】
自分の生まれつきの病気。
肌の色が白い、弱視、周りと見た目が違う。
中学の時、自分が嫌いだった。
目立たないで過ごせたらいいなと思っていた。
自信がなくなって、「はい」「いいえ」の受け答え。
どうせやっても無理かな、できないかなとネガティブ。

柔道に出会い、高校から本格的に始めた。
やってるうちに楽しくて、アピールできる居場所となった。

周りよりたくさん練習して、自分を認識してもらおう。
たくさん練習して、強くなって自分を認識してもらおう。
腕立を他の人が100回やるなら、103回やろう。
走るのも人より多く。
努力を認められたい。

パラリンピックに出ようと目標を立てた時、自分が好きになってきた。
続けることの大切さ。
パラリンピックロンドン大会に出たのは30歳の時。
16歳の時に目標をたて、14年。
卒業、受験の失敗、筑波入学、就職、教員採用いろんな事が人生の中であった。
その間も柔道を続けた。
だからパラリンピックに出れた。

東京パラ。
コロナで練習する場所がなくなった。
高校、大学への出稽古、トレーニングジム、当たり前の生活ができなくなった。
世間は、オリパラへの批判。
こんな大変な時に、自分が柔道を続けていていいのだろうかとの思い。
膝の靭帯断裂も経験。
怪我をして、練習したことや技が出来なくなる。
でも、できることを毎日していた。
投げ出さないで良かったと思えた。

周りの人を大切にすること。
1人では勝つための柔道はできない。
出稽古ができなかった時は、学校の柔道場で。
練習相手が必要。
怪我を手当てしながら、一緒に考えたりアドバイスしてくれた方々がいた。
1人では夢は実現できない。
周りの人たちは大切な存在。

今を大切にする事。
怪我で思うようにできない時、できない事ややれない事を考えがち。
できることを考えると、意外とできることがあると思えた。
不自由に感じていなかった時のことを振り返ると、
充分に環境を生かしきれてなかったと気づく。

コロナのことで大会にでることを諦めた時期も。
オリパラ中止しろとのコメントを聞くと、
パリを目指したがいいのかと。
靱帯を切ってパラリンピックで勝てるわけがないと投げやりになった事も。
でも気持ちを切り替え、できることをやり続けた。
投げ出さないで続けてよかった。
頑張っても頑張っても勝てない、怪我をしてしまうこともある。
うまくいかないこと、報われない事も。
結果が出なくても、今を大切に過ごす事が大事と振り返って思う。

16歳の時に、パラでメダルを取る、周りの目を変えるという目標をたてたが、
40歳の今、メダルを取るという目標は、達成できない。
「おとなしい」「恥ずかしがり屋」と思われていた、周りの人の目を変えるということは達成できたのでは。
今できることを一生懸命、精一杯やる。
続けると、きっと、理想の自分、なりたい自分に近づけると思う。
無駄な頑張りはない。
まだ柔道を続ける。