湧心館高校定時制
食育講演会がありました
11月27日(金)、あばぁこんね会長・もじょか堂代表の澤井健太郎氏を講師にお招きし、「食と命~水俣から安全でおいしい食材をみなさんへ」という演題で、食育講演会を開催しました。
講演の要旨はつぎのとおりです。
学生時代から海外へ渡航し、さらに水俣で農業を学んだことをきっかけとして、JICAの青年海外協力隊として海外で働くことを目標とした20代。しかし、JICAの二次試験の健康診断で心臓に異常が見つかり、夢を断念せざるを得なくなった。失意の中でのふるさとでの療養中、農業だったら地元でもできるのではないかと水俣で農業をする決意をした。
初めに養鶏を手がけた。4羽の鶏を手に入れ、自然の中で大切に家族のように育てた鶏が10か月後に産んだ1個の卵。そのまま育てれば羽化して鶏になる卵。食べるために育てたものなのに、どうしても食べ物に見えなかった。悩みぬいた末に食べた卵は弾力があってとてもおいしいものだった。「命をいただく」ことに真剣に向き合った瞬間だった。この感動をみんなに伝えたい、おいしい卵をみんなに食べてもらいたいと思い、もじょか堂を創設した。途中、鳥インフルエンザの流行があり養鶏を断念。もじょか堂では、生産者が愛情込めて育てた安心で安全な食材を吟味のうえ取扱い、消費者に販売した。しかし、愛情こめて作物を育て、おいしいものを提供するという生産者の夢も捨てきれず、今はアボカドの生産にも取り組んでいる。
現在、世界に1億人以上飢餓の状態の子どもがいる一方で、たくさん採れた野菜や作物が市場に出ることなく、育てた農家さんが自らトラクターで踏みつぶすような光景が日本にはある。物質の豊かさや利便性を追求しすぎた結果、現代の日本人は、大切なことを忘れているような気がする。
「ミナマタ」は、日本で初めて食による公害が起きた土地である。長い間差別や風評被害にさらされ、食べ物に水俣産と言えない時代が続いた。今では、環境モデル都市として国の認証も受け、人々の意識も変わりつつある。水俣病患者で語り部だった故杉本栄子さんの言葉「食で病になったとだけん、食で治すとたい」。過去の過ちを教訓とし、二度と繰り返さないために、水俣の生産者たちはできるだけ農薬や化学肥料に頼らない農業を目指している。
ヒトは、命をいただくことでしか自らの命をつなぐことができない。もっと食べ物や生産者に関心を持ってほしい。つくる人と食べる人の関係性を大切につくっていくことが水俣の未来をつくることであり、自分の役割であると考えている。 |
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