「真心はかはらざりけり」 ~ 160年前の国際交流から学ぶ

 ただいまALTのケリー先生の退任式を行いました。ケリー先生の故郷、カリフォルニア州はアメリカ50州の中で最も人口が多く約4000万人。面積は42万㎢あり、日本列島がすっぽり入る広大さです。サンフランシスコやロサンゼルスといった大都市があり、ヨセミテ国立公園などがあることでも知られています。

 そして、私たち日本人にとって、カリフォルニアはハワイと並んで歴史的に深い関係がある州です。鎖国が続いた江戸時代の末期、アメリカのペリー来航によって日本は開国することとなりました。1860年(万延元年)、アメリカ合衆国と通商条約を結ぶために江戸幕府の使節団が、咸臨丸やアメリカの軍艦に乗船し、太平洋を航海しました。一ヶ月以上かけて西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコに到着したのです。幕府使節団はこの後、首都ワシントンやニューヨークなどを訪問し、鉄道や近代的な工場、ビルディングなど進んだ西欧文明に圧倒されます。長い鎖国政策で世界を知らなかった幕府の使節団にとって、言葉も通じず、人種も違い、服装や食事など生活慣習も大きく異なるアメリカの人たちはどう映ったのでしょうか? 自分たちとは全く違う化け物のように感じたのでしょうか?

 使節団の一人の村垣淡路守という人がアメリカで歌を詠んでいます。

 「姿見ればことなる人とおもへども その真心はかはらざりけり 」

 姿は違っても、心は同じだと言っているのです。

 それでは、ちょんまげを結い、刀を差した和服姿の侍たちは、アメリカの人々に野蛮人扱いされたのでしょうか?全く逆でした。東洋のサムライの一行が初めて米国へ来たと大歓迎を受けます。かれらの立ち居振る舞いは礼儀正しく気品があると当時のアメリカの新聞、雑誌が報道しています。

 160年前の私たちのご先祖、サムライたちは、国が異なり、習俗が違っても同じ人と人なのだと本質を見抜きました。開国したばかりのアジアの島国から来た、変な格好をした日本人をアメリカの人々は温かく迎え入れました。

 翻って21世紀前半の今日、分断と対立が世界各地で起こり、ウクライナでの戦火がやみません。人種、宗教、言語、政治などが異なっても、私たち人間同士には本質的に理解し合えるものがあるのだということを、私たちは歴史から学ぶことができると思います。

 明治時代になると日本から多くの移民が船でカリフォルニアへ渡りました。「その日本人移民の子孫の一人が私かもしれません」とヨギ・ケリー・アン先生が笑いながら語ってくれたことがありました。

 ケリー先生と出会えた幸運に感謝し、1学期終業式の話を終わります。

「校長室からの風」

    表彰式、全国大会出場部への同窓会からの激励金交付、1学期終業式のスタジオの様子