令和7年11月から始まった管理・特別教室棟の改修工事は令和9年3月頃に完成予定です。
工事はちょうど折り返し地点を過ぎて後半戦に入りました。
現在、建物はシートで覆われ、周りはフェンスで囲われています。
ふと、建物からせり出した部分があることを発見しました。
観光地にある展望台のような、コンサート会場のステージのような。
鉄製の足場(あしば)が組まれ、木製の平台(ひらだい)が載せられています。
階段やエレベーターでは運ぶことができない「建築資材」を建物の上階へ運び込むための「平場」です。
エアコンの機械やアルミサッシ(窓の枠)がどんどん運び込まれていました。
さて、現在の建物の中の様子を見てみましょう。
3階廊下の様子です。既に窓枠が取り付けられています。
美しいガラスが入れられている部屋もありました。
「ペアガラス」という防音や断熱に優れたガラスです。紫外線カットや外部からの遮熱効果もあります。
さて、第一高校の敷地は歴史に満ち溢れていることが特徴です。
第一高校には「正門」と「東門」があります。熊本城側の「東門」から入校されましたら、ちょっとだけ右手をご覧ください。
【第一高校内には古墳があります】
斜面にポコポコと穴が空いていますがこれはいったい何でしょう?
これは6世紀から7世紀にかけて昔の人々が造ったお墓です。
古城横穴墓群(ふるしろよこあなぼぐん)と呼ばれる熊本県指定の文化財です。
以前に発掘調査が行われた際には古墳時代の土器(須恵器:すえき)や勾玉(まがたま)、剣など、貴重な資料が見つかりました。
全国でも学校内にこのような大規模な古墳(こふん)があるのは大変珍しいことです。
現在、その古墳の上にはセミナーハウス(研修棟)が建てられています。
さらに、お進みいただき、お城をイメージした第一高校体育館をご覧ください。
【第一高校にはお殿様や武士が住んでいました】
体育館付近は1521年から1615年まで「隈本城(くまもとじょう)」があった場所です。
1588年に肥後の国の領主となった加藤清正公は、ここ(第一高校内)に住まわれながら現在の「熊本城」を築城されました。
【第一高校には洋学校がありました】
体育館付近は隈本城が取り壊された後、明治初期には「熊本洋学校」が設置されていました。豊かな教養の持ち主であるアメリカ人教師ジェーンズにより、英語・地理・算術・測量・物理等、当時の日本では斬新かつ質の高い講義(すべて通訳なしの英語による講義)が行われ、徳富蘇峰・横井時雄・海老名弾正ほか多くの教育者や文筆家・政治家等を輩出されています。
【第一高校は日本赤十字発祥の地です】
明治10年(1877年)、熊本洋学校の職員室だった建物内で「博愛社」が創設され、ここを本部として、西南戦争で負傷した多くの兵士を敵味方の区別なく治療し救いました。博愛社は後に「日本赤十字社」と改称されました。博愛社の本部であった建物は「ジェーンズ邸」として、現在は熊本市水前寺に移築されています。
【第一高校には医学校がありました】
明治初期の第一高校内(現在の教室棟や正門駐車場付近)には「熊本医学校」と「病院」が設置されていました。
千円札の肖像である北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)博士は、熊本医学校(第一高校内)で学ばれ、後に破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を完成させ、ペスト菌を発見されるなど「日本近代医学の父」として知られています。
第一高校では、このような歴史ある教育の聖地で学ぶ凛とした気品ある心豊かな一高生と新しい校舎が皆さんをお待ちしています。