徒然雑記帖

2018年12月の記事一覧

平成30年度の就職試験を振り返る

 

就職試験ではどのような問題が出題され、面接で何が問われたのでしょうか。概要を知っておくことは学校を預かる責任者として大事なことであると思い、3年生の皆さん方が提出した受検報告書に毎年目を通しています。

 

集団討論で「日本食と言えば寿司か蕎麦か」というお題で議論させた企業がありました。一体どんなことが話し合われたのだろうと興味津々です。

また、計3社で中学校で必須教科を1つだけ加えるなら何か」と面接で問い、「学校の教科で1つ増やすとすれば何か。理由も添えて述べなさい」と作文で出題していました。昨年度は、「祝日に1日付け加えるとしたら何?」とあり、「エッ?!」と思ったところでしたが、今年は「教科」です。一体どのような答を期待しているのでしょうか。もし学生時代に学び足りなかったことを聞いているのだとしたら、私なら「年金制度」と答えるかもしれません。

ということで、いくつかの問題を紹介します。(【 】内に地区と業種を示しました。3社以上で出題があった問題は【多数】と表記しています)

1、2年生の皆さん方は、このような問題に来年、再来年に直面します。今の実力でどのくらい対応できますか?

 

作文   

・「入社3年後の目標」(「20年後の自分について」「社会人になってチャレンジしたいこと」「目標を達成するために継続して努力したこと」「社会人になるに当たっての心構え」「大工になってやってみたいこと」等も)【多数】

・「高校生活で一番困難だったこと」(「それをどう乗り越えたか」「その結果何を得たか」「それを今後どう活かすか」「今まで一番打ち込んだこと」「私が一番自信をもっていること」等も)【多数】

・「働くということはどういうことか」(「私にとって働きやすい職場とは」「仕事を通してどういう力をつけたいか」「働きながら成長するために心がけたいこと」「仕事をする上で大切なこと」等も)【多数】

・「製造業で一番必要なコンプラインアンス意識とは」【中京・製造】

・「学校の教科で1つ増やすとすれば何か。理由も添えて書きなさい」【中京・製造、中京・鉄鋼】

・「あなたを漢字1文字で表現するとしたら何か。理由も書きなさい」【中京・鉄鋼】

・「次の2つの中からあなたが修理できるものを選び、今まで学んだことを活かして修理の手順や必要な道具を詳しく書きなさい」【関東・保全】

①エアコンの効きが悪い ②パソコンでインターネットに繋がらない

・「お年寄りと関わる中で感銘を受けたこと」【熊本・介護】

 

集団討論

・「皆さん達4人はチームです。4人で会社を起業するとしてあなた達は何を売りますか」【中京・製造】

・「ドラえもんの四次元ポケットがあったとして、のび太君と世界を幸せにする道具をそれぞれ一つだけ選び、その理由並びにその道具の欠点を話し合ってまとめなさい」【中京・鉄鋼】

・「中学校で必須教科を一つだけ加えるとしたら何か【中京・製造】

・「中高生のインターネットの依存の対策は」【九州・製造】

・「成功体験と失敗体験のどちらが人を成長させるか」【九州・電力】

・「KYT(危険予知訓練)活動。絵を見て危険なところを探し、安全策を5人で討論しなさい」【近畿・製造、中京・製造】

・「東京オリンピックを盛り上げるためには」【中京・製造】

・「社会のルールを守らない人はなぜ守らないのか、その解決策は」【九州・製造】

・「日本食と言えば寿司か蕎麦か【関東・鉄道】

・「飛行機が故障して砂漠地帯に不時着した。そんな中あなた達5人は12個のアイテムを手にして逃げることになりました。12個の必要なアイテムを挙げて順位を決めなさい」【中京・製造】

・「学生と社会人の違い」【中京・製造】

・「ある企業には野球部があり、ファンクラブもある。同じように部を作るとしたら何部を作るか。チーム名、スローガン、集客方法、資金をどうするか」【関東・鉄鋼】

 

筆記試験(時事問題系の一般常識)

・「熊本県知事の名前をフルネームで漢字で書け」(「今の内閣総理大臣の名前」、「校長の名前」等も)【多数】

・「熊本城を建てた人は」【熊本・設備】

・「オリンピックの種目で新種目4つのうち1つ答えよ」【関東・電力】

・「自民党の総裁選挙に出馬するのは安部普三首相とあと一人は誰か」【関東・保全】

・「2018年、テニス全米オープンで優勝した選手は」【九州・建設】

・「東京オリンピック、パラリンピックのキャラクターは」【関東・製紙】

 

面接

・「高校時代に頑張ったこと」【多数】

・「年上の方や上司と仕事をしていくわけだが、どうすると上手く付き合っていけるか」【多数】

・「働くとはあなたにとってどういうことか」(「仕事とは何か」等も)【多数】

・「ジュニア・マイスターとは何か」【多数】

・「あなたが知っている重機の名前は」(「弊社の製品の名前は」等も)【多数】

・「弊社を漢字1文字で表すとしたら何か」(「漢字2文字なら何か」、「あなた自身を漢字1文字で表すと何か」等も)【多数】

・「あなたにとってどのようなことがストレスか。ストレス発散法は何か」【多数】

・「自分を動物に例えるなら」(「自分を車の部品に例えると何か。またその理由は何か」等も)【多数】

・「不得意な科目をどのように努力し克服したか」【中京・製造】

・「昨夜は寮に泊まってもらったが、同室4人とコミュニケーションを取ったか」【近畿・電力】

・「人の意見を聞いて動くタイプか、それとも自分で決めて行動するタイプか」【熊本・製造】

・「初任給をどう使うか」【中京・製造】

・「SNSに関してどのようなことに気をつけているか」【関東・鉄鋼】

・「あなたにとって苦手な人はどんな人か。その対処法は何か」【関東・建築】

・「あなたが住んでいる町の特徴は」【中京・建築】

・「ふりこ、ストップウォッチ、棒の3つを使って振り子の周期を確実に測定する方法は」【熊本・製造】

 

集団工作等

・紙20枚とはさみ、テープを使って8人で共同して高いタワーを作る。ただし、紙と紙との接合にテープを使ってはいけない。タワーの名称、工夫した点を話し合い、代表一人が発表。【中京・製造】

・ミニゴルフで得点を競う。(各班7人。まず、司会1、書記1、タイム1、応援2を選ぶ。選手と各係は重複可。各グループで「動作手順」を作成し、その手順通りに選手1人が3球ずつ打って3人の選手の合計点を班ごとに競う。その後、上手くできた点、できなかった点を面接で聞かれる)【中京・鉄鋼】

・マシュマロタワーにチャレンジ!【関東・電力】

パスタの乾麺20本、テープ90cm、たこひも90cm、マシュマロ1個(頂上につける)これらを使ってより高いタワーを4人で作りあげる。(説明5分、個人ワーク5分、作戦タイム13分、制作20分、反省10分)

 

まとめ

作文のお題は、毎年定番のものばかりです。面接では、社会の出来事を反映した時事問題を問う企業があるようです。グループワークや集団討論を課す企業が年々増え、採用に当たりコミュニケーション能力重視の姿勢は一貫したものを感じます。また、昨年度と同じ出題が続いている傾向が非常に顕著で、過去問をしっかり解いておく必要性を痛感します。

 

最後に・・・、生徒諸君が残していた感想には、「工場内は5Sが徹底していて、ゴミ、油など全く落ちていなかった」、「工場内は隅々まで掃除が行き届いており、さすがだと思った」などが沢山あり、普段から5Sを口うるさく指導している成果が出ているな・・・と嬉しく思ったところでもあります。

【校長】

 

追伸

 

=29 【多数】

 

□に+,-,÷,×を入れて式を完成させる問題を短時間にできるだけ沢山解くもので、SPIの常連で筆記試験でも多くの企業が出題しています。ちなみにこの答は順に+、×、-

このような算数系の問題(小町算)は、普段から私のサイトを見て数に関する感覚を磨いておくと得意になるかもしれません。

 

この問題を見て閃きました。今日1219日は、今年最後の素数日です。それを記念して日にちの数字をそのまま並べた1219をこの式で作ることができないかということです。即ち

 1219 

暫く考えたところ、何と全部「+」だけでできあがりました。

 

!+(!!)!!+!!+!!!=1219

 

「階乗、しかも多重階乗なんか使ってずるい」と言われそうですが、「+だけでというのが凄い偶然だ」と思わず唸ってしまいました。何かいいことがありそうです。

 

素数日とは

平成30年12月19日を301219のように6桁で表すと素数になる日です。このことについては、今年1月1日の記事で一度紹介したところですが、改めて書き出すと以下の通り24日あり、今日は今年の最後の素数日になります。

 

300109300119300221300301300317300319

300323300331300413300427300511300623

300719300721300809300821300823300929

301013301027301123301127301211301219

西南戦争と人吉、そして村山台地

 

俳優の鈴木亮平さんが主演を務めるNHKの大河ドラマ「西郷どん」が昨夜とうとう終わってしまいました。最後2回は「西南戦争」での激しい戦闘の様子が圧巻でした。

言うまでもなく、西南戦争(西南の役)は、1877年(明治10年)に九州で、明治新政府に対して反感を持っていた鹿児島の士族達が西郷隆盛を盟主にして起こした武力反乱です。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、我が国最後で最大の内戦と言われています。

平和的な交渉を望んだのに賊軍となってしまった西郷軍、「最後の侍」として日本のために使命を全うし、こうやって歴史になっていってしまったのかと感無量の思いで見ました。

 

ところで、生徒の皆さんは、ここ人吉市が西南戦争の激戦地の一つだったということは大丈夫ですか。「西郷どん」では先週(第46話)、解説字幕で「人吉」という地名がほんの一瞬出ただけでしたが・・・。

そして、この戦争が献血等の際にお世話になっている日本赤十字社発足のきっかけになったということは知っていましたか?(「西郷どん」ではこのことは扱われなかったようですが・・・。)

 

本校の校歌の1番は、「ふるさとの文化の朝に 風さやか村山台地♪」の出だしで始まります。本校が所在するこの村山台地こそ、西南戦争を語るうえではずせないキーワードになります。

  

本校南門から出て150mほど東に進んだ人吉西小学校の正門付近は、地図上に「∴」の記号が付いています。歴史に残る事件に関係のあった場所・建物や遺構(史跡)を表すこの記号、「西南の役官軍砲台跡」を示すものです。右の写真はそこに立つ案内板です。

 

その説明書きや史料によると、薩摩軍は、九州を北上し、熊本城を攻めますが、中々うまくいかなかったようです。1873(明治6)年3月、田原坂の戦いで敗れた薩摩軍は熊本城をあきらめ、追ってくるであろう官軍を迎え撃つために人吉にしばらくの間滞在しました。西郷隆盛は永国寺に本部(宿舎)を置いて戦争の指揮を執ることにし、球磨川南岸に兵を集結しました。

一方、薩摩藩を追って人吉に入った新政府軍は、人吉城下を一望でき見晴らしの良い村山台地に砲台を築きました。6月1日、眼下球磨川に展開する薩摩軍への総攻撃を開始。球磨川を挟んで砲火が飛び交いました。薩摩軍には人吉の士族たちも多数合流していましたので、父子、兄弟、甥と叔父が敵味方に分かれて戦ったとありました。(こういう記述は、中世の保元の乱(1156年)を彷彿させます)

薩摩軍の砲弾は、政府軍の本営まで届かず、球磨川を挟んでの攻防は官軍の圧勝で終わり、薩摩軍は、町に火を放って人吉から退却。町は、戦闘と放火により、灰燼に帰しました。それだけでなく、この人吉根拠地の期間中、薩摩軍はこの地域に苛烈な軍政を布き、政府軍と内通した容疑をかけられた住民が捕縛され、証拠も詮議も不十分なまま私刑同然に処刑する残虐が加えられているそうです。薩摩軍は総崩れとなって敗走、人吉を捨てて田代、大畑方面へ退却し、大畑に陣を敷きます。・・・以下省略します。

 

昨年は西南戦争後140年目に当たるということで、当時を振り返る催しが各地で行われたり、関連本も沢山出版されました。興味がある人は調べてみると、自分が住む人吉について新たな発見があるかもしれません。

また、いつの世も高台というのは戦局を有利に進めることが多いわけですが、本校はそんな悲しい歴史が残る村山台地に所在していることを知っておくことは大事なことかもしれません。

【校長】

 

 

昨年の夏休み期間中に生徒会の生徒たちが、「青少年赤十字リーダーシップ・トレーニング」という活動に参加してきました。生徒たちがもらってきたガイドブックの中に赤十字の歴史について次のように触れてあります。以下、長くなりますが抜粋しておきます。(参考までに)

 

日本赤十字社もスイスで最初の赤十字が誕生した時と同じように、戦いがきっかけで誕生することになりました。戦いに大きな力をもっていた鹿児島の士族である反乱軍は熊本まで攻め上がり、熊本城や田原坂を中心に明治政府と反乱軍で激しい戦いが繰り広げられ多くの負傷兵が出ました。負傷した兵士の多くは戦場に倒れたままで、充分な看護も受けられず苦痛に耐えかね、お互い刺殺しあった者もいたと言われています。

九州での悲惨な戦いを東京の地で聞いて悲しく頭を痛めていた元老院(今の国会)議官の佐野常民は、負傷した兵士がなんの救護も受けず放っておかれていることが残念でなりませんでした。

佐野常民はこれまでにヨーロッパを旅行したことがあり、その時にヨーロッパには戦場の負傷兵を敵・味方の区別無く救護する赤十字という団体があることを知っており、日本でもそのような団体を作る必要があると考えていました。この西南戦争の時に、赤十字のような団体があれば、負傷兵の生命を救うことができると考えたのです。

そのことを友人の元老院議官の大給恒(おおきゅうゆずる)に相談したところ、大給恒も大いに賛成してくれ、2人は具体的な計画をまとめました。救護団体を作りそれを博愛社と名付け、明治政府に救護活動をするための願書(ねがいしょ)を提出しました。

しかし、願書に記されていた敵・味方の区別無く救護するという考えは当時の人々になかなか受け入れられず、明治政府は、政府に逆らう反乱軍の兵士まで救護するという趣旨のこの願書を認めませんでした。

佐野常民はあきらめませんでした。認められなかった願書を持って戦場の熊本へ向かい、熊本城で政府軍の総指揮者として反乱軍の鎮圧にあたっていた有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)のもとへ、直接博愛社の設立の許可を願い出たのです。有栖川宮熾仁親王はこの願いを聞き入れ、その場で博愛社の設立を許可しました。

1877年5月1日のことです。日本赤十字社の創立記念日はこの日を記念して5月1日としました。これにより「博愛社」の救護員は直ちに現地に急行し、両軍の負傷者の救護にあたりました。この活動は、当時、敵の負傷者まで助けるという考えが理解できなかった人たちを驚かせました。

西南戦争から9年たった1886年(明治19年)、明治政府はジョネーブ条約へ加入しました。そして、博愛社は翌年の1887年(明治20年)に名前を日本赤十字社と改めることになり、ここに日本赤十字社として国際赤十字の一員に加わることになりました。

さらに1919年には、赤十字の平時活動を推進する国際赤十字・赤新月社連盟の創設に参画しました。

今日では、戦時平時の別なく幅広く赤十字の活動の推進に努めています。

 

長距離走大会と心拍数

 

いつも本校のHPにお越しいただきありがとうございます。

 

今日の長距離走大会、全校生徒560人のうち欠席4人と怪我や体調不良等で見学をした22人を除く534人が寒風を衝く力走で初冬の球磨路を駆け抜けました。

途中で3人がリタイアしましたが、その他の生徒たちは全員が規定時間内(2時間)に走り抜くことができました。

 

力強い走りでみんなを先導した男子1位の鶴田舞杜君【3MA】(43分3秒:302.m/分)、女子1位の千代村春花さん【1A】(48分6秒:228.m/分)をはじめ、上位15人の皆さん方を表彰しました。そして、団体の部では2MBが優勝しました。誠におめでとうございます。

沿道周辺の皆様には、今年も大変御迷惑をおかけしましたが、終始温かいご声援をいただきありがとうございました。また、保護者の皆様には豚汁を振る舞っていただき大変ありがとうございました。

 

ところで、私は懸命に走る生徒たちを応援しながら、男子と女子が走る距離、女子11km、男子13kmをそのまま繋げた1113という数字にも思いを巡らしていました。(参考:距離を逆に並べた1311に関する昨年の記事はコチラ→13kmと11kmで思い出した積分の悲しい計算

 

1113、この数、どこかで耳にした数だな・・・と思って記憶の糸を手繰ったら・・・何と昨日、買い物をして支払ったお金でした。

1113円

ある意味、凄い偶然です。

 

1113は1113=3×7×53と素因数分解されるので、素数ではありませんが(約数は、1, 3, 7, 21, 53, 159, 371, 1113の8個)、今日12月13日の数字をそのまま並べた1213、こちらは素数です。

 

 偶然といえば、凄いことが今朝起こりました。3日前(12月10日)の記事で1248421という数がアクセスカウンター以外で実際に現れるとしたらどんな場面なのかと話題にしました。

何と、それに近い数字が今朝現れたのです!

私、毎朝、手首式血圧計で血圧を測っています。最高血圧●●●mmHg、最低血圧▲▲mmHg、脈拍数★★拍/分 をそのまま並べると、●●●▲▲★★という7桁の数になります。今現在、学校のHPの総アクセス数が7桁を刻んでいますので、血圧計が表示した7桁の数とHPの総アクセス数が極々小さな確率ですが同じになる可能性があります。そういう日がいつどんな状況で現れるのか、毎日楽しみに血圧を測って、表示された数字を眺めています。

 

今朝、右の写真のとおり、最高血圧124mmHg、最低血圧84mmHg、心拍数72拍/分 で、そのまま並べると1248472という数字になりました。3日前の記事で話題にした1248421と上5桁が見事に一致し、わずか51違い(百万台というオーダーを考慮に入れると非常に近い数)であり、朝から一瞬のけ反りました。でも脈拍が21だったら生きていないはずでは・・・と。

 

気になって心拍数が20前後の動物を検索したところ、ありました。象です。象で思い出すことがあります。生徒の皆さんは「哺乳類の心拍数と寿命は反比例し、一生の総心拍数は約20億拍で一定」という学説を聞いたことがありますか?有名ですから、耳にしたことがある人は多いかもしれません。

 

それによると、象(20拍/分)の寿命は、20億÷(20×60×24×365)を計算しておよそ70年、ちなみに人(70拍/分)は、20億÷(70×60×24×365)で、およそ54歳になります。(現在、人の平均寿命は男女とも80歳を越えていますが、医療と食生活の進歩によるものと考えられているようです)

とにかく、体が大きい(体重が重い)動物ほど1分間の心拍数が少なく長生きで、体が小さい(体重が軽い)動物ほど心拍数が多く寿命が短いという「心拍数と寿命の間の反比例の法則」そして、「哺乳類の心臓は総心拍数が20億回で打ち止め仕様」、どちらも味わい深い説です。

 

心拍数が少ないほど長生きできるというのなら、中・高校生の時にしっかり運動をして心肺機能を高めておき、平常時には70拍/分よりも低い、例えば60、50拍/分といった心拍数で動く強靱な心臓を作っておけば長生きできるということでしょうか?それとも、運動をやっていると、その分当然心拍数の増加を伴うので、やっただけ寿命が短くなるということでしょうか?

若い時に作った身体で残りの人生を生きていくというのは確かですが、こういうことが運動生理学などに無知の私にはよく分かりません。

 

ちなみに本日の長距離走大会でこんな計算をしてみました。もし、最大心拍数200拍/分で1時間半ずっと走っていたとすると、その間に心臓は1,8000回(200×90)打っていたことになります。これは生涯の総心拍数20億回に対してどのくらいの割合になるかというと、0.000009即ち9ppm*になります。この数字、一体どう捉えればいいのでしょう?

今日の長距離走大会、どのくらいまで心拍数が上がったか脈を取った人はいますか?身長や体重だけでなく、心拍数や血圧といった内臓機能についても、自分の身体のスペックとして時には気にしてみましょう。

【校長】

 

ppm(パーツ・パー・ミリオン)について

ppmは、「parts per million」の頭文字をとったもので、100万分の1の意味。主に二酸化窒素などの大気汚染物質をはじめとする公害分野や、食品添加物などの濃度、岩石中の微量元素の組成、半導体中の不純物量を示す目的などでよく用いられるが、不良品発生率などの確率を表すこともある。

拵える、誂える、設える

 

いつも本校のHPにお越しいただきありがとうございます。

見事な西高東低の気圧配置となり寒い週末でしたが、生徒の皆さんはどのようにお過ごしでしたか?

私は京都の同志社大学に行っていました。京都検定を受験しにです。

 

2,3年生の皆さんは、昨年2学期の終業式で次のような話をしたことを覚えているかもしれません。

 

「私、せっかく人吉の地に赴任したから、地元をよく知るためにも『人吉球磨検定』を受けようと決心した。・・・テキストを買って勉強してきたが、願書請求の段階になって実施してないことを知った。・・・受験生が集まらず3年前から休止になっているらしい。・・・ここ人吉は京都と雰囲気が似ていることから『小京都』と呼ばれているが、雪辱を果たすためにも本物の京都検定を受けたい。・・・」と。

 

一時期ブームになっていたご当地検定、その嵐も過ぎ去り東京の「大江戸検定」、奈良の「奈良まほろばソムリエ検定」、京都の「京都観光文化検定」(これが正式名称)の3つがいまだに沢山の受験生を集めており、その中でも絶大な人気があるのが通称「京都検定」のようです。

私、検定試験を受けるのはおよそ10年前の技能検定以来久々です。この京都検定、今の学校教育で育むことが重要視されている思考力・判断力・表現力等とは(論文が課せられる1級は別として少なくとも2級・3級では)無縁の世界です。ひたすら暗記力だけの勝負で、そういう意味では潔い試験と言ってもいいかもしれません。京都に行ったことは高校の修学旅行を含めわずか3回しかありません。地図を広げ碁盤目状の道路配置を頭に叩き込んだうえで、数多ある寺社を始め色々なことを全て一から覚えていきました。

とは言っても、この歳になると記憶は忘却との闘いです。今日10覚えても次の日には9忘れているといった状態が続き、途中何度か断念しようと弱気になりました。くじけそうになるモチベーションを奮い立たせてくれたのが、主催者が公表しているデータです。それによると、1級~3級のどの級も受験生が一番多い層が50歳~60歳(H28年度)ということで、記憶力の減退に苦しんでいる同志がきっと沢山いるはず?・・・、そのことだけが心の支えでした。

 

 そういうことで、試験勉強では公式テキストに加えて市立図書館や県立図書館にある京都本を読み漁(あさ)りました。特にものづくり関係の本を中心に。そして気付いたことがあります。今日のタイトルにある拵える、誂える、設える」という動詞です。順に「こしらえる、あつらえる、しつらえる」と読むようです。

 

京都のものづくり(伝統工芸)については、公式テキストブックの中に次の一節があります。

 

京都の伝統工芸の「匠の技」は朝廷、巨大社寺、貴族らがスポンサーとなり一流の審美眼で京の伝統工芸にさらなる技芸の精進を促し、これに応える十分な職人芸が発達した。・・・(途中略)・・・宗教都市であり、文化都市でもある京都は、現代でも工芸美術品の需要があり、それが重層的に影響しあいながら類いまれな「手の匠」を生み出しており、国の伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)に基づいて、経済産業大臣が指定する伝統的工芸品に京都府内の17品目が指定を受けている。・・・

 

これら3つの大和言葉風の響きをもつ動詞、京のものづくりを語る本の中になぜか高い頻度で出てきます。私自身はこれまで稀に耳にしたことはありますが、いずれも自分が普段使う語彙ではありません。それだけにすごく目についたのかもしれません。意味も曖昧でしたから、念のために辞書で調べてみました。

 

●「拵(こしら)える」とは、ある材料を用いて、形の整ったものやある機能をもったものを作り上げること。

●「誂(あつら)える」とは、自分の思いどおりに作らせる。注文して作らせること。

●「設(しつら)える」とは、ある目的のための設備をある場所に設けること。

 

語義を読んでも、日常使わない言葉だけに分かったような、分からないような変な気分です。「誂える」は、お金を払って自分ではない他の人(専門家)に頼むニュアンスが強いから、ものづくり系の動詞にも拘わらず「手偏」ではなく「言偏」なのかなぁ・・・?とか思いつつ、このような小難しい動詞が似合う京の一流の職人たちによるものづくりの奥深さに思いを巡らしたところです。

こうした言葉で語られる伝統工芸に限らず、寺社や史跡・名勝から建築、庭園、美術、芸能に至るまで広く(浅く)触れたことで、日本の政治文化の中心であった京都の奥深い魅力を新たに発見しました。その意味で京都検定、私にとってはとても有益でした。また、知識が増えていく楽しみが記憶力低下の厳しい現実を突きつけられる辛さを凌駕してワクワクしたことも実感です。

 

話を大きく変えます。一昨日8日(土)に京都に向かうのぞみ16号の中で本校のHPを開けたら、午前9時17分現在の総アクセス数が1248421でした。

 この数、右から読んでも左から読んでも同じになる回文数です。それに加え、上4桁の1248は初項1、公比2の等比数列をなし、下4桁の8421は初項8、公比(1/2)の等比数列になっているという点でも面白い数です。ちなみに素因数分解すると、素数2つの積になる「半素数」でした。

 

1248421=29×43049 

 

ですから、その約数は1,29, 43049, 1248421の4個になります。

 

ちなみに1248421という数がアクセスカウンター以外で実際に現れるとしたらどんな場面でしょう?私、超々気になって検索をかけてみました。

ありました。今、お茶の間の話題をさらっている某自動車メーカーがpdfで公表している売り上げ報告書の中に、次の表記を見つけました。こういう偶然ってあるんですね!

 

・・・販売台数は、前年比9.4%増の1,248,421台となりました。・・・

 

最後に、今日取り上げた1248421について、数字の並びをそのままにして、加減乗除等の記号を入れて、この数字が現れた日にちであり、開戦記念日でもある12月8日をそのまま並べた128を拵えてみます。

 

-1248421=128

 

××=128

 

124)×()=128

 

××××÷×=128

 

124+(÷)×=128

 

248÷√=128

 

12-(×)}×=128

 

××√×!!!!×()=128

 

12×!!+!!!!+√×=128

 

12÷×!!!!+(!!)!!!!}×()=128

 

12!!!!!!+48×}÷=128

 

12!!!!!!+sin-1/)+(!+)×=128

 

cos-1/)+(!!)!!!-÷√×()=128

 

tan-1{√()}+!!!-!!××=128

 

ということで、広島~新神戸間の1時間ちょっと間に14通り立式しましたが、まだまだできそうな気がします。皆さんだったらどのような式を拵えますか?誰も考えつかないという渾身の一式ができあがったら是非教えてください。

 

ちなみに私もサイン・コサイン・タンジェントの全てが入った奇抜な式を立式しようとだいぶ試みましたが・・・

 

sin-1/)+cos-1/-4-2tan-1)=129 ×

 

となってしまい、どうしてもあと1近づけることができずに残念です。

受験に向かっているのに、小町算なんかで遊んでないで「追い込みの勉強したら・・・?」とか言われそうです。

でも、困ったことにポテチと一緒で「やめられない・止まらない」なんですよね、これが(..;)

【校長】

12月3日→123で思い出すこと

 

いつも本校のHPにお越しいただきありがとうございます。月が変わってとうとう師走に突入しました。1日(土)は小春日和でしたが、昨日2日(日)は昼から雨が降り出し少々肌寒い天気になりました。期末考査も終わりましたが、生徒の皆さんはいかがお過ごしでしたか?

 

 私は昨日、多良木町で行われていたサイテク祭り( Science & Technology の略らしい)で、本校溶接部と電気工作部がブースを出していたこともあり、様子を見に行きました。天気がぐずついていたせいか、昨年度よりも若干客足が鈍ったということですが(主催者発表)、本校のロボットやUFOキャッチャーの前には写真のように終日賑わっていました。

 今日は冷たい雨の中、12月最初の登校日になりました。そして明日からは、2年生はインターンシップが始まります。将来のことを真剣に考えるきっかけになればと願っています。

事業所の皆様には大変お世話になりますが、御指導を宜しくお願いします。

 

ところで、数日間出張が続いていたので、たまっていた仕事をしようと、今日はいつもより2時間余り早く学校に来ました。到着後すぐHPを開いた時(午前5時45分)の総アクセス数は1242013

これはどのような数かな?素数ぽいけど・・・と、いつものように素因数分解をしてみました。電卓を暫く叩きましたが、なかなかできません。根負けしてネット上の素数判定機にかけたわけですが、驚くべき事実に気付きました。

 

まず、1242013 は、先日から話題にしている「半素数」(2つの素数の積として表される数)でした。

 

124201341×30293 

 

従って、その約数は 1, 41, 30293, 1242013の4個です。

 

何に驚いたのかというと、今日の日にち12月3日の数字をそのまま並べた123も 123=3×41 と素因数分解される「半素数」であり、しかも41が共通していたということです。

 

41という数、高校の頃、答案用紙が41点で戻ってきたことがあります。化学でした。あまり良い思い出はありません。

それはさておき、この41という数、なぜか神秘的です。皆さんは、名古屋市と富山市を結び、日本列島をほぼ真っ二つに縦断する国道41号線のことを耳にしたことがありますか?

全長約250キロのこの道沿いから、ノーベル賞受賞者が相次いでいるということで、この国道41号線は別名「ノーベル街道」と呼ばれているそうです。日本でノーベル賞を受賞した方の生家の何と3分の2が41号線脇にあったそうです。右はネット上で見つけたそのことを報じる新聞記事です。偶然にしてはとても神秘的ですよね。

かつては出世魚のブリをはじめとする生活物資が運ばれていたらしいですが、この業績にあやかって「現代のお遍路」をする人たちもいるそうです。

 

最後に、今日取り上げた1242013について、数字の並びをそのままにして、加減乗除等の記号を入れて、今日話題にした41と123の2つの数を作ることに挑戦してみます。

 

42=41

124!-=123

 

あまりにも簡単にできて、何だかな~です。もう一組作ってみます。

 

12×0!=41

-1√420××!=123

 

う~ん、ピンときません。もう一組作ってみます。

 

×+{(!+)×}!!=41

+{(0!}×=123

 

何通りもできそうですが、皆さんだったらどんな式を作りますか?

 

123で思い出すこと

123と聞いて真っ先に思い浮かぶものといえば、33年前、昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便御巣鷹山(おすたかやま)墜落事故です。単独事故としては史上最多の死者を出した航空機事故(乗員15人を含む520人が死亡)でした。

当時、私は教師として駆けだしの頃で、数学の免許を取るために東京の玉川大学の夏期講習会(スクーリング)に2週間通っており、明日帰熊という日でした。

あの日あの時(午後7時頃)、突然テレビの画面が「飛行機が消息不明」と報じるニュースに切り替わった瞬間は衝撃的で、鮮明に覚えています。その後は夜更けまでテレビにくぎ付けとなり、仮眠してはまたテレビを見るといった感じで、生涯忘れえぬ事故になりました。

時を経て、あの大惨事を直接知らない若い人たちが増えてきています。次第に風化が進むのは致し方ないのかもしれません。

 

そんなことを時々考えていたつい先日、これまた衝撃のニュースが報じられました。何と、イギリスのヒースロー空港で、乗務直前の日本航空のパイロット(副操縦士)から、基準値の9倍を超えるアルコールが検出され酩酊状態だったというものです。2日前の新聞では、現地の裁判所は「乗客乗員を危険にさらし、大惨事を引き起こすおそれがあったとして、被告に禁錮10カ月を言い渡した」と。

副操縦士は42歳とありました。今から33年前といえば9歳になりますから、この事故を直接知らない世代なのかもしれません。しかし、大惨事を引き起こした当該会社の社員ですし、社内教育で「御巣鷹を忘れるな!」と何度も聞き、徹底した安全教育を受けていたはずです。「それにも関わらずなぜ・・・?」という思いが、私たち大人の飲酒運転が無くならないこととダブってしまいます。

パイロットは離着陸の時だけでなく、常に緊張状態を要求される特殊な職業であり、お酒にストレス発散を求める向きがひょっとしたらあるのかもしれません。でも、飛行機の事故はとにかく、とにかく悲惨です。「飛行機をコントロールする前に、自分をコントロールできる人」が操縦する飛行機じゃないと誰しも乗りたくないはずです。

 

高校生を含めた若い人たちのアルコールの問題に敏感になっている時と偶然に重なったこともあって、今年一番ショックを受けたニュースの一つでした。

 

【校長】