徒然雑記帖

「ひよどり越え」の名前の由来を探る(その2)

 中庭のあじさいの花が二輪咲いています。なぜ紫陽花と書いてアジサイと読むのか知りません。でも、この淡い紫色を見ていると夢見心地の気分にひたれます。

 今朝、高校総体の行進の練習がありました。総体が終わるまで梅雨入りは待ってほしいと願っていましたが、とうとう熊本も昨日梅雨入りしてしまいました。




 注:以下の記事は、昨年7月20日にアップした「アクセス数682962→鵯(ひよどり)越えの戦い)」の中編になります。(昨年7月20日の記事は→こちら

本校生が「ひよどり越え」と呼んでいるのは、平家物語の中でも語られる平家滅亡の前兆となる戦い(一ノ谷の戦い)に出てくる呼称です。

いつ頃誰が列車通学生が上ってくるあの坂を「ひよどり越え」と名付けたのか、人吉市史や本校の30周年記念誌などで調べましたが結局分かりませんでした。それどころか意外なことを知りました。それは・・・

「黒坂」

昭和41年4月8日号の人吉新聞に「黒坂の登校階段完成」の見出しに続く次のような趣旨の記述があり、その当時は「黒坂」と呼ばれていたようです。

球磨工業高校通学生徒の一部父兄(主に汽車通学生から市に対し整備を陳情されていた市内城本町の西校登校道路(人吉駅裏の通称黒坂)がこのほどコンクリート階段に整備され、通学生徒をはじめ、地元の利用者は喜んでいる。

同道路は急勾配のため、整備しても一雨降ればすぐ土砂を洗い流し、路面が悪くなり地元民からも整備方が陳情されていた。昨年は悪路を通行する生徒の姿を見て、同町民政委員谷川源昨さんが老身を問わず道路整備に汗を流し生徒から感謝されたこともあったが、今回の整備で通学生も安心して通れると言っている。同道路は延長140m、巾員1mを全長階段にしている。工費は11万6千円。

一方、「大悲坂」とも

相良三十三観音の一つ、九番村山観音(写真右)はJR人吉駅の裏手にあります。案内のパンフレットには「大村横穴群にある『大悲坂』が登り口」とありました。

そのパンフレットには、「西暦1764年紺屋町の商人達が協力し合い、観蓮寺の観音堂に行く参道を苦労して切り拓き、その事業を後世に残そうと「大悲坂碑」(だいひさかひ)を建てています」とあります。従って、この登り坂は250年前頃は、「大悲坂」と呼ばれていたことになります。

左の写真では読み取れませんが、実際に石碑に近づいて見ると、確かに大悲坂と彫り込んであります。

村山観音が安置されているお堂は「大悲殿」と呼ばれているところから来ているのかもしれません。手元の国語辞典によると、「大悲」とは「他人が悲しみ苦しんでいるのをみて助けてあげたいと思う人の心」とあり、どうやら仏教用語のようです。

結局「ひよどり越え」とは?

私、赴任当初から気になっていたことがあります。それは、平家の落人伝説が色濃く残る地域に所在する学校だからある意味当然かもしれませんが、本校も色々と落人伝説と関わりがあるのでは?ということです。どんな点にそれを感じたかと言うと・・・

① 今、話題にしている平家物語にも出てくる「ひよどり越え」のネーミングがまさにそれ。

隣の人吉西小学校の先生方を含め十人近くの行き交う地元の方々に坂道の名前を尋ねてみましたが、その全員が「この坂に名前があるの?」とか「知らない」といった答えばかりでした。人吉西小学校の某先生は、「球磨工生が上がってくる坂」と呼んでいると言われ、「ナルホド!」と思いました。

また、学校評議員をお願いしている1期生の馬場上氏にも尋ねてみたところ、「当時何と呼んでいたか忘れたが、そういう(=ひよどり越え)呼び方はしていなかったはずだ。初めて聞いた」という証言をいただきました。

② 建築科の実習工場の前にキジ馬が3騎積み上げてありました(右写真)。フラワーポットとして生徒が作った作品だそうです。言うまでもなく、キジ馬は平家の落人たちが都での華やかな生活を思い返しながら作る手慰めとして作り出した民芸品だと言われています。


*  大村横穴古墳群(Omura side hole tomb)は、JR人吉駅の北側にあり、岩の崖には27の横穴が掘られています。1400年ほど前の古墳時代後期の墓だと言われています。左の写真のように、人吉駅のホームからぽっかり口を開いている穴が見えます。何も知らなければきっと「あれはなぁに?」と思うはずです。古代人が闊歩していたことを彷彿させる場所のすぐ隣に停車場がある光景は日本広しといえどもあまりないかもしれません?

パンフレットには、「この中の7基の外壁に馬などの動物、武具、文様等の装飾が残っていることから、早くから学界にも注目され、大正10年(1921年)3月3日に国指定史跡となりました。昭和58年から毎年7月第4土曜日には地元城本町住民が中心となって「古墳まつり」が続いています」とありました。

この古墳に沿って、約240人の列車通学生が毎日登下校で使っている365段の階段があり、本校関係者が「ひよどり越え」と名付けているのです。

途中に2箇所外灯があるものの、夜はとても暗く、生徒総会でも外灯増設の要望が出ていました。その道を使っているのは本校生がほとんどだからということでしょうか、外灯の電気代は何と本校が支払っています。4月分は735円でした。

人吉市に外灯の増設を陳情しても国指定の文化財(大村横穴古墳群)だから形状の変更が難しいらしく、なかなか進んでいないのが現状です。

後編に続きます。

【校長】