学校の日常

令和3年度

花吉校長先生を偲んで

花吉校長先生を偲んで
本校の初代校長の花吉洋一校長先生が、令和3年7月17日(土)に御逝去されました。92歳でした。
花吉先生は、昭和4年(1929年)にお生まれになり、16歳の時に戦争が終わりました。
少年時代は、戦争と重なり、大変な食糧難の中を過ごされました。また、小学校2年生で、両親を亡くされ、学問で身を立て、教師の道を志し、高校教師となられました。
教員としての最後の勤務が、東稜高校の創立で、数人のスタッフで、7ヘクタールの校地の整理、校舎の新築、教育内容、制服、生徒募集など、本校の形を作ることにご尽力されました。
大きな人間を育てるには、広々とした空間で大きな器で育てることが大事との信念で、広大な敷地を確保され、50Mプールを整備、特徴ある校訓、校章、校歌の制定、県内で唯一だった国際コースの設置など、画期的な発想で学校をつくられました。
花吉校長先生の信念は、戦後日本の復興する姿から、自らを律し、自らを興す、志を立て、精力を一点に集中する、それが人間の大事な真諦であるという思いで、校訓となって表れています。
また、校歌も思いを込めたものです。校歌が出来ていない当初は、長渕剛の「乾杯」を校歌として歌っていたと、先輩は語っています。
7月19日、同窓会の後藤会長、東稜寮の寮長の奥園さんと、葬儀に参列しました。東稜高校第1期生(船田、安成、齊藤さんら)をはじめ、卒業生、同窓会の方からも弔電が発信されました。
棺(ひつぎ)の中の花吉先生のお顔は穏やかで、東稜高校の校訓と校歌を書いたボードが花吉先生の胸におかれました。
花吉校長先生の情熱と精神は、校訓、校歌、校章の中に表現されており、先輩方から皆さんそして、後輩達に脈々と受け継がれていきます。
ここに、花吉先生をお偲びし、謹んで、先生のご冥福をお祈りいたします。
【7月20日終業式の前に、全校生徒に放送にて】