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令和5年度(2023年度)幼稚部卒業生_ 保護者の声04
初めて新生児聴覚スクリーニング検査で再検査となった我が家の三男。それから何度も何度も脳波の検査を重ね、軽・中等度の感音性難聴と診断されたのは生後……いつでしたっけ?1歳の時には補聴器を付けていたのでその前ですね。診断結果が出たあと、一緒に来ていた上の子達に三男のオムツを変えてくるね。と言って、トイレに入ってから、溢れてくる涙をなかなか止められなかった時の事、今でもよく覚えています。当時の私は、聴覚障害の事を何も知らず、ただ漠然とした不安に襲われ、自分を責めることしか出来なかったんです。身近に聞こえない人も居なかったし、誰かに聞いたこともなかったのです。手話?子どもの時にみんなで「世界中のこどもたちが」を手話付きで歌いましたよ・・・そんなレベル。
熊本聾学校から車で2時間のところに住む私が、熊本聾学校入学を決断したのは、もちろん容易なことではありませんでした。距離はもちろん上の子の事、仕事の事、抱える問題は沢山でした。
私は子どもの頃、友達と遊ぶことに苦労はきっとしていません。当時、保育園に通っていた三男はどうかと言うと・・・ただ遊ぶだけなのに全く楽しめていない様子。家にいる時と違って、笑顔がない。多分、その頃の息子にとっては家族以外の人はみんな宇宙人だったんだと思っています。それでも、見る力はあるのか、何にしても見て真似て他の子と同じように出来ちゃうんですよね。だからと言って、サラリと流れていく日常の様々な事すべて、分かっていたかというとそうではなく、本当にただ真似していただけ。保育参観に行くと、それは感じ取れました。でも、私にとってその違和感はその時だけで、家に戻るといつもの息子の姿に、保育園での違和感は薄れていくんです。
熊本聾学校のうさぎルームに通いだし、幼稚部の参観に行った時、子ども達が思い思いに自分の考えをぶつけ合ってるのを見て、正直驚きました。そこにあるのは、よく見る子どもらしい姿。そして1人1人の可能性を最大限に引き出す先生方の力の高さと愛。熊本聾学校に通うことが、我が子にとって最善であることを確信しました。かと言ってそう簡単には決断できない現実があったんですが、熊本聾学校の先生方のおかげで息子は入学することが出来ました。
幼稚部1年目は、週1で通いました。おそらく異例の事だったと思います。受け入れてくださった学校に、この場を借りて改めて感謝申し上げます。週に1回でも、回数を重ねる毎に息子は「分かる」経験が増えていきました。聞こえる私達は何気なく耳から入ってきた情報を受け取っていますが、それが少なかった息子は初めて聾学校で「分かる!」を実感したと思います。「分かる」が増えると、今度は「知りたい」気持ちが膨らんでいきます。少しずつでしたが、そんな息子の変化が嬉しかったです。
熊本聾学校では手話が飛び交っていますが、その頃の私は手話の単語をいくつか知っている程度。学校へ息子を送るときやお迎えの際、そんな状態の私は会話に入りたくても、入れない・・・そもそも何を言ってるのか分からない。そんな自分と、聞こえる人達の中で過ごす息子をよく重ねました。私はその僅かな時間だけだけど、息子は起きてる時間の大半がこういう状況かと。軽・中等度の難聴の息子との家庭での会話で困ることはそんなにありません。ゆえに、息子が難聴である意識が薄れてしまう時があります。なので、熊本聾学校で過ごす私の時間も大切でした。
2年目からは、可愛い盛りの息子と平日は離れて暮らす決断をし、毎日学校に通わせました。それからの成長は凄まじかったです。自ら感じ、考え、行動する。自分の気持ち、相手の気持ちとも向き合い、泣き、笑い、悩み、喧嘩も協力する事も増えていき、何とも濃い幼稚部生活でした。今の息子しか知らない人は、前の息子を知るとびっくりするかもしれません。熊本聾学校に来る前は、慣れない人が居るところでは私にぴったりくっつき離れなかった子が、今では知らない人に自分から話しかけに行ったりします。そして私にとっても、熊本聾学校で出会った先生方や保護者の方、聾学校のお兄ちゃんお姉ちゃん達に沢山学ばせていただいています。
いよいよ、今度は小学生。どんな小学生になるのか!?でも、この幼稚部でのかけがえのない時間が今後も息子を支えてくれると思っています。親子共々、今後とも皆様、よろしくお願いいたします。
令和6年(2024年)3月 5歳児保護者
管理責任者 校長 市原留美子