つなぐ・つながる・つくりだす
今、熊聾では・・・(その241)
小国支援学校から「校歌に手話をつけてほしい。」との依頼がありました。
コロナ禍の中、歌唱の時に声を出せない状況があるため、歌詞に手話をつけることで、子供たちの生き生きした表情が見られるだろうという想いからの相談でした。現在、御依頼に応えられるよう本校数名の職員が頑張っているところです。小国支援学校の皆様、乞うご期待!もう少しお待ちくださいませ。
(手話歌作成担当の本校職員のハードルを上げたかも…)
さて、手話歌に関しては、1990年代頃に手話歌の是非について議論があったことをおぼろげながら記憶しています。手話を広めるという意味では一役買っているのでしょうが、一方で戸惑っている「ろう者」がいらっしゃることも事実です。
もともと歌詞は日本語で書かれています。それらの歌詞に日本語に対応する手話単語を単純に並べていくだけで手話歌になるかと言えばそうではないと私は思っています。手話は大きく分けると2つあります。ひとつは日本語の文法に従って単語ごとに手の動きを当てはめ、日本語を話しながら行う日本語対応手話です。本校の多くの職員は聴こえる教員(聴者)ですので、この日本語対応手話を中心に用いています。ほとんどの手話歌には、この日本語対応手話が用いられています。もうひとつは、日本手話というもので、日本語とは全く文法体系が異なる別の言語で、ろう者のコミュニティの中から自然に作り上げられてきたものです。
少なくとも私たち教職員は、この2つの異なる手話のことを知っておかないと、子供たちに正確な情報が伝わらないばかりか、全く逆の意味に伝わってしまうなど大変なことが起きてしまいます。
聴者である教員が日本手話を駆使できるようになるには、相当な努力と日本手話の環境が整うこと等々が必要でしょう。日本手話が堪能とまではいかなくとも、日本手話に敬意を払いつつ、日本手話についての学びを続けることは必要だと思います。地道に学びを続けて参りましょう。
令和3年5月21日
熊本聾学校 校長 五瀬 浩
管理責任者 校長 市原留美子