校長ブログ

23/10/02(27)駅の話

 幼い頃、母に連れられて、坂本村葉木(現在八代市坂本町葉木)の祖母宅に「汽車」で行くのが楽しみでした。まだ蒸気機関車が走っていましたので「汽車」と呼んでいましたが、今でも、たまに「汽車」と言うときがあります。八代駅~段(だん)駅~坂本駅~葉木駅と、20分ほどの小さな旅ですが、車窓から見る球磨川とトンネルが大好きでした。葉木駅は本当に小さな駅でしたが駅員さんがいらっしゃいました。しかし、いつの間にか無人駅に。春は桜が美しい駅でした。八代駅に掲げられていた路線図でいつも気になっていたのが湯前駅。湯前線の終着駅である湯前駅にあこがれていました。レールの終わりはどうなっているのだろう、八代駅とどっちが大きいんだろうなどと、あこがれを抱きながら、色々な想像をしていました。次第に祖母宅には父親が運転する自動車で行くことが多くなり、大人になってからは1回しか「汽車」には乗っていません。そして令和2年(2020年)7月を迎えてしまいました。現在、本校の近くの肥後西村駅~湯前駅間をくま川鉄道が運行しています。旅へのわくわく感、故郷に着いた安心感、旅立ちへの期待や不安、地域の人たちの日常、駅は人々のさまざまな思いであふれています。大学時代、私は八代駅~熊本駅を「汽車」で通学していました。昭和62年(1987年)に国鉄が民営化され、JRと名前を変えました。「汽車」の中では、語学や専門科目の勉強をしていました。朝、熊本駅に着くと、不思議と学びの意欲がわいてきました。平成21年(2009年)に東京で勤務していた時は、住宅の最寄り駅である板橋区の高島平(たかしまだいら)駅から職場の最寄り駅である千代田区の内幸町(うちさいわいちょう)駅間を、都営三田(みた)線で通勤していました。内幸町駅に着いた時の「仕事場に行きたくない。上司が怖い。」という気持ちは今でも忘れることができません。さて、4月に人吉・球磨に赴任した私ですが、5月20日、ようやく湯前駅に行くことができました。子供のころの夢がかなった日となりました。