校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし

ever ending challenge ~ 挑戦に終わりなし


 熊本県立多良木高等学校にとって最後の年度が始まりました。平成31年3月をもって本校は96年の歴史を閉じます。遠く大正11年の創立以来、引き継がれてきたバトンが最終走者(アンカー)の3年生67人に渡されました。

 このアンカーを走る生徒たちは、閉校するとわかっていながら、「それでも多良木高校に行く」と2年前に入学してきてくれました。彼らの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」を行い、「多良木高校でしかできない特別な体験」を通して充実した高校生活を送ることができるよう、教職員一同、使命感をもって取り組んでいきたいと思います。

 「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを年度当初に掲げました。多良木高校は、生徒も教職員も最後まで挑戦する姿勢で臨みます。閉校という重い定めに対して、同窓生や地域の方々には無念の思いや失意、そして喪失感が渦巻いていることでしょう。学校の歴史には終止符が打たれます。
 しかし、この最後の学年の生徒たちには無限の未来が待っています。多良木高校閉校の1か月後には元号が変わります。平成に代わる新しい時代において、アンカーの生徒たちは間違いなく主人公になっていくのです。彼らの挑戦はゴール(閉校)を越え、その先の未来まで続いていきます。
ever ending challenge(挑戦に終わりなし)です。

 最後の年度、県立学校教職員22人、PTA団体任用職員1人、同窓会委託売店職員1人の計24人で、67人の生徒を支援します。これまで応援してきてくださった地域の皆様への感謝を胸に、生徒と教職員が一体となって全力疾走していきたいと思います。

 最終年度において、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 




「くま川鉄道」に乗ろう

 

「くま川鉄道」に乗ろう 


 今、「くま川鉄道」の沿線は春爛漫です。散り始めた桜と目に眩しい黄色の菜の花が車窓を彩ります。「くま川鉄道」は球磨川に沿って、ゆっくりした速度で落ち着いた感じで走ります。春のローカル列車は趣があると思います。

 「くま川鉄道」は人吉・球磨地域にはなくてはならない公共交通です。JR肥薩線と人吉駅で接続しており、人吉温泉駅から人吉盆地の東端にあたる湯前駅(湯前町)まで約25㎞を結んでいます。平成元年から人吉球磨地域の市町村と民間会社の出資による第3セクター方式で運営されていますが、もともとは旧国鉄の湯前線で、大正13年に開通した歴史があります。乗客の8割は通学する高校生だと云われ、本校の生徒の内、およそ4分の1が列車通学です。この人吉・球磨地域にある五つの県立高校はいずれも「くま川鉄道」の駅から徒歩10分以内に位置しており、安定した鉄道運行が通学に大きな役割を果たしていることを私は赴任以来実感しています。

 普段は自動車に頼っている生活ですが、人吉市での会合や県立学校での会議の際には私も努めて「くま川鉄道」に乗るようにします。乗車する度に発見があり、情趣を覚えます。例えば、「くま川鉄道」の線路はほぼ一直線となっています。球磨川に沿って人吉盆地を西から東へ伸びた路線であり、気持ちが良いほど真っ直ぐな線路が続いています。また、「田園シンフォニー」と呼ばれる観光列車の車両が通勤通学時間帯にも運行しており、木材を使用した温かみのある車内で寛ぐことができます。「観光列車で通学できるなんて、君たちは幸せだよ。」と列車通学生にはよく話をします。また、歴史ある路線で、古い駅舎、鉄橋等が幾つも残っています。特に、湯前駅は大正13年の開業以来、変わらぬ佇まいを見せています。

 学校を支えてくれている大事なインフラ(社会基盤の施設)であると共に、「くま川鉄道」には物語があり、この人吉球磨地域には欠かせない豊かな風景の一部となっているのです。大人の皆さんも時には「くま川鉄道」に乗車し、心地よい揺れに身をまかせ、故郷の四季の情景に浸ってほしいと願います。
     
               
          まっすぐに伸びる線路(多良木駅付近から湯前方面)


湯前駅駅舎(大正13年築造)
 

 


 


「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式

       「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式 

 桜満開の3月28日(水)、多良木高校では教職員の転退任式を行いました。平成30年度熊本県教職員人事異動に伴い、本校から3人の教諭が転任、そして3人の常勤講師が今月で本校を退任して4月から新たな学校で勤務することになりました。人事異動は私たち県立学校に勤める職員にとっては定めです。生徒と共に感謝と惜別の思いで見送ります。

 転退任の6人の職員の皆さんに、私はJR肥薩線「真幸駅」の入場券を贈りました。JR肥薩線の人吉駅から鹿児島県吉松駅までの通称「山線」と呼ばれる区間は、県境の険しい山岳地帯を越えるため今や全国でも珍しい回りながら山を登るループ線や急勾配を折り返しながら登るスイッチバックが残り、明治の終わりころの古い駅舎が今もその佇まいを見せ、鉄道ファンにとっては聖地のようなところです。

 人吉駅を出発すると、大畑駅、次に矢岳駅、ここまでが熊本県で、宮崎県に入って真幸(まさき)駅に到着します。明治44年築造の宮崎県で最も古い駅舎が山の中にあります。真の幸せと書いて真幸と読みます。駅名にちなんで、幸せの鐘がホームにあります。ここの入場券は、「真の幸せに入れる」ということで人気があります。周りに集落のない無人駅ですが、観光列車が止まる時には客室乗務員等が対応されて入場券を購入できるのです。
 この3月でJRの列車の本数がさらに削減され、人吉から吉松方面へ行く列車は観光列車を含め一日に3本しかありません。先週の土曜日に人吉駅午前10時8分発の観光列車「いさぶろう号」に乗り、真幸駅に行ってきました。入場券一枚たった160円ですが、肥薩線に乗って求めてきたという私の思いを込め、転退任の皆さんに贈りました。

 送別の歌として名高い「蛍の光」の歌詞の1番の最後に「さきくとばかりうとうなり」とあります。「どうかお幸せにと願い 歌います」という意味でしょう。6人の職員の皆さんには、真の幸せの「真幸駅」の切符を手に、次の学校に向かって元気に旅立ってほしいと願います。


「ちはやふる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ

「ちはやぶる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ 

 「ちはやぶる かみよもきかず たつたかわ」の上の句が読まれ始めたとたん、 即座に「からくれないに みずくくるとは」の下の句を生徒たちは取り合いました。さすがに高校生はこの在原業平の歌には敏感に反応します。「ちはやふる」という少女漫画(コミック)が人気となり多くの若者に読まれ、映画化もされて話題となっています。百人一首による競技カルタに打ち込む高校生の青春ドラマが描かれているそうです。

 3月20日(月)、生徒会による企画で、多良木高校としては初の試みとなる百人一首のクラスマッチを行いました。現在、本校は2年生の2クラス67人が在籍ですが、クラスごと9チームをつくり、各試合に3人が出場、他に1~2人が審判役を務め、9試合同時展開の全員参加型の競技カルタに興じました。

 競技カルタに取り組んでいる百人一首クラブや同好会がある高校は県内で公私立合わせ10校ほどあると思います。県高校総合文化祭で競い合い、全国高校総合文化祭の全国大会に出場します。文化部ですが、競技はまるでスポーツの試合のような気迫と緊張感が漂います。

 しかし、本校の生徒の場合、「ちはやぶる~」のように覚えている歌は少ないようで、お手つきも多く下の句の札をなかなか取ることができず、笑いや歓声の絶えないクラスマッチとなりました。1組と2組とそれぞれクラスはありますが、67人全員がひとつの大きなクラスのようなものであると感じた、今日のクラスマッチでした。

 「百人一首」は今から800年前の鎌倉時代初期に藤原定家が編纂しました。7世紀の白鳳文化、8世紀の奈良時代、そしてその後の平安時代から合計100人の優れた歌人の代表的な歌一首を選び時代順に並べたのです。1番は天智天皇、2番は持統女帝、3番は柿本人麻呂と続きます。天智天皇や持統女帝などは7世紀、600年代の半ばの人です。21世紀初頭を生きている私たちは、およそ1400年前の歌に親しんでいることを考えると、言葉の永遠性に気付かされます。


 


「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力

「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力


 ◇ 「夢は必ず叶う。諦めなければ。」

 ◇ 「絶対に失敗しない人というのは何も挑戦しない人のこと。」

 ◇ 「ピラミッドは頂上から作れない」

 ◇ 「チャンスはピンチの顔をしてやってくる。」

 ◇ 「私の夢は○○○です。」から「私の目標は○○○です。」へ


 これらの言葉は、3月14日(水)に多良木高校で行われた進路講演会で、ボンボ藤井さんが生徒に熱く語りかけられたものです。ボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは心を大いに揺さぶられました。

 ボンボ藤井さんはウクレレ奏者・指導者、ラジオ放送のDJ、テレビCM制作などのサウンドクリエーターとして県内外で活躍されている方です。経歴は異色で、工業高校で学ばれ自動車会社に就職、その後、自動車修理工場を経営されていたのですが、大怪我を転機に「音楽に関わる仕事をしたい」という少年の頃からの夢を実現されたのです。

 「あなたの夢は?」というテーマのもと、ウクレレの演奏、CM作品(動画)の紹介、そしてアシスタントの木下もえさんと共にラジオのDJ形式で生徒と対話するように進行され、90分が瞬く間に過ぎたような感じでした。軽妙な語りで聴く者を引き付けながら、時に情熱をもって語られるボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは魅了されたようです。また、使ってはいけない言葉として、「うざい」、「きもい」、「意味わからん」等の具体例をあげられ、これらの言葉は何より他者が聴いて不愉快であり、決して前向きになれないものだと生徒たちを厳しく戒められました。

 将来に向かっての生徒の進路意欲に火を点けてくださった講演は、次の言葉で締めくくられました。

 「さ、次!」

 常に前向きに挑戦を続けるボンボ藤井さんの姿勢を象徴する言葉です。