平成28年度 学校長より

2016年12月の記事一覧

2学期終業式 式辞

12月22日 2学期終業式式辞

 2学期終業式にあたり、私から話をさせていただきます。

 さて、8月22日から今日までの丁度4ヶ月という長い2学期でしたが、皆さんはいかがだったでしょうか。学校行事は体育祭、文化祭、チャレンジ大会と大きな行事が続きました。みなさんの積極的な取り組みのおかげで、すべて成功に終わったと思っています。また、ボランティアや部活動、委員会活動を中心に地域に大いに貢献する機会が多かった期間でもありました。今、表彰を行いましたが、これらもすばらしい成果であったと思います。どれをとっても高森高校生の「良さ」をアピールすることができたのではないかと思っています。


 この「良さ」というのはどういうことでしょうか。私は、知識をもち、その本質をきちんと捉え、ケース・バイ・ケースで対応を柔軟にしていく力だと思います。また、そこには積極的に取り組もう、やってみようという意識がないといけません。

 今学期は3年生の皆さんに、進学、就職で面接練習をすることがあり、ほとんどの皆さんと話をする機会がありました。自分の言葉で堂々と語っていた人もいましたが、中には、決まり切った質問にはスラスラと答えられるが、想定していない質問になると、黙り込んでしまったり、自分のきちんとした考えがないためか、それまでの質問の答えと明らかに矛盾した内容を答えてしまった人もいました。そういった人は、知識・情報と自分の思いがつながっていない、あるいはそれらがねじれているという感想をもちました。

 そうなる原因は何でしょうか。一つには、普段の授業を通しての勉強が全然足りてないこと、もう一つには、得られた知識のうわべだけを単に取り入れて、その知識や情報を、自分で考えて、考え抜いて、自分の本当の力に変換していないことではないかと思います。やはり1年の時から、授業、部活動、学校行事等を通して、力をつけていかないと一朝一夕にはいけません。今の2年生には予告しておきたいと思いますが、来年はもっと厳しくしたいと思います。勉強とは、多くの情報を得た上で、それらを基に思考し、活用することであると思います。そのことを日頃から意識して生活していって欲しいと思う次第です。

 さて、本校の校訓は昭和30年9月、今から61年前に制定されたものです。これは当時の教頭、藤野嘉三先生が草案をつくられました。その一つ目「叡知を磨いて真理を探究する」の「叡知」とはどういう思いがあって校訓に用いられたのでしょうか。

 もともと「叡」は「ものごとを深く見通すこと」「神のようになんでも見通すこと」ということから「すべてに通ずること」という意味があります。そして「知」には「すべてを知っていること」という意味があります。ですから「叡知」とは「深遠な真理を覚りうる優れた才知」ということになるでしょう。そのことをとおして、藤野教頭先生は「心に感じることであり、物事の審議を識別すること」の大切さを当時の生徒、皆さんの先輩方に訴えたかったのではないかと思います。私は更に、そこから他者を考えたりすることで、深い思考力をつけ、社会性、人権感覚をも養って欲しいと思います。そのような集団にはいじめは決して起こらないと考えています。

 勉強は真摯に取り組まなければなりませんし、楽なことではないかもしれません。日頃から学校の授業だけでなく、読書や新聞、テレビのニュースや情報サイトからの正しい知識を得て、その本質をきちんと捉えるよう努力して欲しいと思います。そうすると思考しようという意識も自然と生まれることでしょう。「学問を楽しむこと」、これが高森高校生には必要だと思います。奇しくも来年度から始まる本校の新しい教育課程には、「数学叡知」という科目があります。本当の意味で「叡知を磨いて真理を探究」していって欲しいところです。そして新しい年を迎えるにあたり、学校のスローガンである「一人一人が輝く学校」に全員で積極的に取り組んでもらいたいと思います。


 今年は地震もあり、普通であることの尊さを感じる1年でした。年が明けると、3年生は最後の定期考査やセンター試験、大学等の一般入試もあります。1、2年生は八校連模試や修学旅行、あるいは創生カレッジやヤマト運輸関係のキャリア教育に取り組む人もいます。更には城北駅伝大会といろいろな行事が待っています。来年は高森高校にとっても飛躍となる1年にしたいと考えています。それでは、ご家族皆さんで、健康でよい年を迎えてください。これで私の話を終わります。