校長室からの風

母校の思い出の中に故郷がある ~ 東京御船会(その2)

 

 5月26日(日)に出席した御船高等学校同窓会の「東京御船会」(東京都千代田区霞ヶ関「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催)について昨日の「校長室からの風」で触れました。しかし、まだ私の気持ちが十分ではなく、その続きを記したいと思います。

 熊本県人は、出身高校への愛着が強い県民だと言われます。しかし、高校(旧制中学)を卒業して半世紀以上経過し、故郷遠く首都圏で生活をされていても、同窓のつながりを重んじ、母校愛を語られる方々との出会いに私は感銘を受けました。「東京御船会」に出席してからすでに2日立っていますが、いまだにその余韻に包まれています。

 御船高校の三綱領「誠実・自学・自律」について語られた方がいらっしゃいました。高校を卒業して上京し、懸命に働き、やがて会社を興し経営者として現在も活躍されている70歳台の先輩は、この三綱領を実現できているか今も自分に問いかけられるそうです。中でも最も難しいと思われるのが、三つ目の「自律以て己を処す」だそうです。そして、後輩の高校生達へ「三綱領の一つでいい、高校生活の支えにしてほしい。」とメッセージを送られました。

 故郷を離れ首都圏で働き、生活してこられたことを誰一人後悔されていません。胸を張って生きてこられた方たちです。けれども、年齢を重ねるにしたがい、望郷の思いは強くなられるそうです。しかし、たまの帰省は親族、知人の葬儀が多く、過疎が進んだ故郷を目にすると寂しいと言われます。「私にとっての故郷はわいわいにぎやかだった高校時代の思い出の中にあります。」とある方は言われました。高校時代は誰にとっても夢と希望のある伸び盛りの時期です。ことに戦後の復興、高度経済成長の時代は我が国が右肩上がりの社会情勢でした。その時代の青春には今以上の輝かしい未来があったと想像します。

 首都圏では、孫が通学している小学校にふらり出かけると不審者のように見られる、と苦笑しつつ話された方がいらっしゃいました。私は、皆さんにお伝えしたいと思います。今度、帰省された時は、ぜひ御船高校へお立ち寄りください、校長室にいらしてください、と。

 天神の森の学舎は元の場所に変わらずあります。御船高校は開かれた学校です。故郷を遠く離れた先輩方にこそ訪ねていただきたいと切に願っています。

 

母校は遠くにありて思うもの ~ 東京御船会

 

 御船高等学校同窓会の「東京御船会」が、5月26日(日)、東京都千代田区霞ヶ関の「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催されました。「東京御船会」(久米政文 会長)は首都圏在住の旧制御船中学、御船高校卒業生の方から成り、今年で第20回の節目の総会・懇親会でした。

 同窓会長の徳永明彦氏、同窓会副会長で御船町長の藤木正幸氏、関西御船会副会長の井上英春氏と共に校長の私もご招待をうけ、末席を汚しました。出席者は総勢56人。最高齢は旧制中学19回卒業の野口政止氏で満90歳、卒寿を迎えられた大先輩でかくしゃくとされています。会の冒頭、同級生が長崎県大村の軍需工場で米軍爆撃を受けて亡くなられた殉難を悼む詩を朗々と吟詠されました。昭和19年10月25日の出来事ですが、野口氏をはじめ同級生の方々にとって生涯忘れがたい痛恨事であり、志半ばで斃れた旧友の分まで昭和、平成、令和と生き抜いてこられた気骨を感じます。

 出席者の多くは70歳台から80歳台の先輩方で、皆さんの母校へ寄せる熱い思いには胸打たれました。飯田山の向こう側から山道を歩き、毎日2時間かけて通学された方。家庭の経済状況が苦しく家では幼い弟妹の世話や家業の手伝いがあるため、学校の授業ですべて頭にたたき込んで帰るしかなかった方。卵を食べられる事が何よりのご馳走で、いつも空腹を覚えながら高校生活を送った方。令和の今日から見ると考えられない厳しい時代ですが、皆さんがそれぞれ強調されたのが恩師との出会い、同級生との友情といった人と人のつながりの大切さでした。そのつながりが原動力となり年に1回、故郷を遠く離れた東京での同窓会を催されているのです。

 高校4回卒業の江本彌太郎氏は、昭和24年に陸上の県大会で100mを11秒0で走られたそうです。当時、陸上部員が40人ほどいて、400mリレーチームは全国大会出場を決めたそうですが、学校に遠征予算がなく教員は引率できず、生徒4人で会場の栃木県宇都宮市まで列車を乗り継いで行かれたとのこと。何とも牧歌的な話に驚きました。

 「御船高校を頼みますよ。」、「秋のロボットの全国大会は応援に行きます。」等の温かい励ましのお言葉を数多くいただきました。戦後の復興、高度成長と我が国を支えてこられた先輩方のたくましさ、そして情の厚さを強く感じました。会場の霞ヶ関ビルは我が国の高層ビルの先駆けで、高度経済成長のシンボルです(昭和43年竣工)。眼下には首相官邸や国会議事堂、そしいて皇居の深い森が見えます。故郷ははるか遠くに在ります。しかし、自分に恥じない生き方を貫いてこられた先輩方は、我が国の中心に集い、熱い思いを母校に送っておられるのです。

 霞が関ビル

「魂の表現」に触れる ~ 浜田知明「回顧展」

 

 御船高校の前身の旧制御船中学校は美術教育で知られていました。東京美術学校(現東京藝大)出身の気鋭の美術教師、富田至誠先生の薫陶を受け、多くの俊英が輩出しました。その一人が、国際的にも有名な版画家・彫刻家の浜田知明氏です。昨年、百歳の天寿を全うされた浜田氏の業績の回顧展「特別展 わすれえぬかたち」が熊本県立美術館で開催されています。

 偉大な先輩の回顧展で学ぼうという目的で、本校芸術コースの美術・デザイン専攻の生徒たちの県立美術館研修を企画し、その1回目の1年生研修を5月14日(火)に実施しました。1年生15人と美術科教諭、そして私の17人が育友会(PTA)所有のバスで県立美術館本館(熊本城二の丸)を訪ねました。美術館では初めに林田学芸員にわかりやすく解説していただき、作品観賞の視点を生徒たちは持つことができました。

 大正7年、御船町髙木で生まれた浜田知明氏は、昭和5年に旧制御船中学校入学、そして1年早い飛び級で卒業し昭和9年には東京美術学校油絵科に合格するという俊才でした。その後、アカデミックな具象画には満足せず、サルバドール・ダリのシュールレアリズム(超現実主義)の影響を受けます。そして、日中戦争に兵士として従軍。この過酷な戦争体験が、戦後、有名な「初年兵哀歌」シリーズ(銅版画)として結実します。

 戦争の残虐性、軍隊の非人間性の体験から生まれた作品の数々は、具象的ではない分、作者のメッセージが強く伝わってきます。そして、反戦や社会批判の次元にとどまらず、人間の営みの本質をえぐる作者の「魂の表現」(林田学芸員の言葉)に圧倒されます。生徒たちは、戦場の死体や極限状態にある兵士の表現を食い入るように見つめていました。今回の特別展では228点の作品が展示されてあり、浜田氏特有の人間社会を風刺したユーモラスな作風のものも少なくなく、多様な「人のかたち」を終生追い求められたことがわかります。

 「戦場での残酷な死体を描いてあっても、それがグロテスクではない。なぜだろう?」、「とっても興味がある作品がありました。忘れられません。」と鑑賞後に生徒たちは感想を述べました。館内では、生徒たちは実に熱心に学ぼうという姿勢が見られ、私語はほとんどありませんでした。さすがは美術専攻の生徒たちだと私は感服しました。

 16日(木)に2年生17人、17日(金)に3年生13人の美術専攻の生徒たちが偉大な先輩の作品群と対面します。彼らの感想が楽しみです。

 

新時代の風が吹いた体育祭

 

 5月12日(日)、風薫る五月晴れのもと、令和元年の熊本県立御船高等学校体育祭を開催しました。テーマは「一意奮闘、新時代をかける船高の風」。

 体育祭は3人の団長によるユーモアあふれる選手宣誓から始まりました。生徒たち一人一人が自ら動き、ほぼスケジュール通りに進行し、御船高校の力を結集して創り上げることができたと思います。早朝から最後まで多くの保護者、地域の皆様にご声援を送っていただき、深く感謝しています。言いようのない達成感が全校生徒及び職員の間に広がっています。

 プログラムはどれも見応えがあり、生徒たちの一生懸命さが伝わってきました。ゴール目指して疾走する姿は躍動感あふれ爽やかでした。結果は1位2位…と表れますが、自分の走りができたかどうか、自己評価が一番です。御船川下り、ムカデ競争や5人6脚競走、台風の目などの技巧種目は、参加者が気持ちを一つにしないとできないものです。チームワークの難しさを生徒たちは体験したのではないでしょうか。そして、リレーはやはり体育祭の華です。抜きつ抜かれつ、声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。走る姿は、まさに「新時代をかける風」でした。

 また、団対抗応援合戦は各団の強い思いが伝わってきました。応援団員の袴姿も凛々しく、きびきびと、かつ流れるような動きの演舞は誠に見事で、春休みから練習を重ねてきた成果が発揮されたと思います。そして、美術専攻の生徒が中心となって作成した各団のパネル画は、芸術コースを持つ御船高校らしい完成度の高さで、観客を魅了しました。

 ラストの全校エール「新時代への叫び」は胸に迫るものがありました。豊かな可能性を持つ生徒たちに新時代、令和を任せていいと思いました。今日、確かに御船高校では新時代の風が吹きました。御船高校は帆をあげ新時代へ船出をしたと言っていいでしょう。

 

 

 

飯田山に見守られ

 

   今日は5月11日。土曜日ですが、御船高校は登校日で、明日の体育祭に向け最後の練習、準備に学校をあげて取り組んでいます。十連休明けで今日が5日目。生徒達の疲労も蓄積しているようですが、各団の団長はじめ応援リーダーたちは声をからして団の生徒たちを指導しています。体育祭への生徒たちの思いの強さが伝わってきます。まさに、今年の体育祭のテーマ「一意奮闘」そのものです。

 グラウンドで体育祭の練習に奮闘する生徒たちも見守っているのが飯田山(いいださん)です。お椀を伏せたような山容で、標高は431m。益城町の飯野(いいの)地区にありますが、本校のグラウンドから間近に見えます。飯田山と言えば、昔、熊本市の金峰山(きんぽうざん 標高665m)と背比べをしたが負け、もう高さのことはいいださん(飯田山)と言ったという伝承で知られます。

   古くから上益城の人々には親しまれている山ですが、この山の中腹に常楽寺(じょうらくじ)という天台宗の古刹があります。このお寺には興味深い伝説が残っており、開山(寺院の創始者)は日羅(にちら)と伝わっているのです。日羅は、古代の肥後芦北地域の豪族出身で、大和政権と朝鮮半島の百済との外交に関わった伝説の人物です。その日羅の名がなぜ開山として伝えられているのか詳しいことは不明ですが、常楽寺の歴史の古さや格式を示すものと言えるでしょう。鎌倉時代の名僧、俊芿(しゅんじょう)が常楽寺で修行した史実から、創建は平安時代末期と推定されています。

   先日、常楽寺を訪ねてみました。林道で同寺まで自動車で行くことができます。歴史ある山寺の風情が漂っています。同寺から飯田山山頂まで歩いて30分ほどです。山頂からの眺めは広く、御船川、緑川、熊本平野、そしてかつて背比べをしたと言われる金峰山などが一望でき、誠に爽快な気分になります。熊本平野の多くは江戸時代以降の干拓や土地改良で開けたことを考えると、この飯田山付近が古代文化の栄えた所という説もうなずけます。

 今日、日中の気温は25度を超えました。青春の汗を流して体育祭の練習をしている御船高校生の姿を飯田山は笑顔で見守っているように感じます。