校長室からの風

「伝統」と「多様性」が御船高校の魅力です。

 7月19日(金)に1学期終業式を終え、夏季休業期間に入りました。この4月に赴任した私にとって、1学期は、発見と気づきの連続でした。本校は、幅広い学びの中から自らの進路を探していく普通科、音楽・美術・書道を通して創造力と感性を磨く芸術コース、そしてモノ作りの面白さを追求する電子機械科とそれぞれ異なる教育課程があり、個性きらめく生徒の皆さんが共に学校生活を送っています。平成から令和に時代が変わっても、天神の森の学舎は可能性ある若者と熱意ある教職員の出会いの場であり続けます。

 御船高校の魅力は、「伝統と多様性」だと私は思います。生徒たちは可能性豊かで、一人ひとりが自分探しの個性的な旅をしていると感じます。そして、御船高校生を地域の方や同窓生の皆さんが温かく見守っておられます。熊本県で最も歴史ある洋画公募展の「銀光展」(今年で82回)において、3年4組の木村さんの作品が最高賞に選ばれました。芸術コース美術専攻の生徒としてこれまで学んできた見事な成果です。学生、社会人含めての最高賞を高校生が受賞したことは新聞でも報道されました。そして、この記事をご覧になった同窓生の方からご丁寧な封書が学校に届きました。昭和28年3月ご卒業(御船高校5回生)の大先輩の方で、後輩の木村さんの受賞をたいそう喜ばれ、展覧会に足を運びたいと綴られていました。木村さんを校長室に呼び、この祝意のお手紙について伝えました。木村さんにとっても自信になる出来事でしたが、多くの同窓生や地域の方々を喜ばせる快挙だったのです。

 銀光展の最高賞だけでなく、この1学期、書道部、写真部、水泳部の活躍をはじめ、少林寺拳法同好会の躍進や個人的に取り組んでいる吟詠剣詩舞での全国高校総合文化祭への出場(3年女子)、同じく個人的な挑戦の自転車競技での九州高校総体への出場(1年男子)など相次ぎました。この夏季休業においても、地域の空手道場に通っている2年男子の世界大会出場や、御船町ライオンズクラブの推薦を受け3週間の台湾ホームステイに出かける2年男子など自ら意欲的に進路を切り開く御船高校生が数多くいます。

 そしてきょう7月23日(水)、吹奏楽部が熊本県吹奏楽コンクールの小編成部門で金賞を受賞しました。会場の県立劇場でその演奏を体感した私は、とても15人とは思えない迫力あるサウンドに魅了されました。

 御船高校の魅力は、「伝統と多様性」です。中学3年生の皆さん、来る7月26日(金)は御船高校体験入学の日です。天神の森の学舎への来校を心から待っています。

 

「私たちの学校」という気持ちで ~ 1学期終業式を迎えて

 

 7月19日(金)に御船高校は1学期の終業式を迎えました。大掃除の後、午前9時20分から表彰式、ALT(外国語指導助手)のディラン先生の退任式を行いました。そして、生徒たちはそれぞれの教室に戻り、午前10時15分から放送による終業式を実施しました。体育館の暑さ対策のためです。

 校長講話を放送室で行いましたが、生徒の顔が見えず、マイクに向かって一人で話すことの難しさを感じました。私の講話は次のようなものでした。 

 皆さん一人ひとりが私にはまぶしく見えるほど、高校生は可能性の塊です。高校教師として長年仕事をしてきた私は、高校生の計り知れない可能性にいつも驚かされてきました。だから、皆さん達には、勝手に自分の限界を設けて欲しくありません。「どうせ自分なんか」と自分の可能性を否定するマイナスの言葉は使って欲しくないのです。挑戦もしていないのに諦めている人が多いように思います。失敗したっていいではないですか。「失敗」とは「こうやったらうまくいかないということがわかった」ことを学ぶ経験です。どんなことがあっても、自分だけは自分自身を信じていてください。好きでいてください。

 休み時間や放課後に、私は努めて校内を巡るようにしています。皆さんと挨拶を交わしたり、短い時間でも対話したりすることが楽しみです。しかし、残念なことがあります。駐輪場周辺や部室の近くにジュースの空き缶やお菓子のゴミ袋などがよく落ちているのです。皆さんは自分の部屋にジュースの空き缶を捨てますか? 大人の中にも、自動車や自分の部屋などのプライベート空間は清潔を保つ一方、道路や公園のトイレにタバコの吸い殻や空き缶を放置する人がいます。本来は、多くの人が使用する公共の空間こそ、プライベートな場所より大切にしなければならないのではないでしょうか。

 御船高校は私たちの学校です。1年生も入学して3ヶ月余りこの学舎で生活してきました。単なるモノや道具であっても、長い時間使い続けると愛着を感じます。長年乗っている自転車は、もう単なるモノ(無機物)ではなく、自分の相棒のようになり、「こいつはよく走ってくれるんです」という表現をします。生徒の皆さんにとって、家庭の次に御船高校は心の拠り所と言える場所になって欲しいのです。「私たちの学校」という気持ちを持てば、学校というみんなの空間をさらに大切にすることでしょう。 

 令和元年、2019年の夏休みは二度とありません。生徒の皆さん、一日一日を大切に過ごしてください。

 

ALTのディラン先生を歌で送る

   ALT(Assistant Language Teacher)のディラン先生が2年の任期を終え、1学期末で御船高校を退任されることとなりました。この2年間、ディラン先生は、英語をわかりやすく教えられると共に、母国のアイルランド共和国をはじめヨーロッパ等の国々のことを授業で紹介されました。生徒たちはいつもディラン先生の授業を楽しみにしていました。

 7月19日(金)の1学期終業式の日、体育館において、ディラン先生の退任式を行いました。ディラン先生のスピーチは、最初に英語、次に日本語で次のようなことを語られました。

  「日本に来る前は、日本の生活のことは全く分からなかった。日本の高校生はシャイ(恥ずかしがり屋)で静かだと思っていた。けれども、御船高校の生徒は明るく元気の良い生徒が多く、生徒たちの幸せそうな顔を毎日見ることが幸せだった。御船町に住み、御船高校で教えたことを忘れることはないだろう。」

   ディラン先生のスピーチの後に、生徒会長の田中美璃亜さん(2年B組)が生徒代表の感謝の言葉を述べ、花束を贈呈しました。そして、ステージにコーラス部の生徒6人が登壇し、音楽の岡田先生の指揮、前村先生のピアノで、アイルランドの歌「ダニー・ボーイ」(別名:ロンドンデリーの歌)を合唱しました。アイルランドの民謡は旋律が優しく、明治時代から日本人には親しまれてきました。特に、1913年(大正2年)に発表されたこの歌は、戦場に息子を送った母の思いが表現されていて、その切ないメロディと歌詞は国境を越えて共感を呼び、我が国でも歌い継がれてきています。花束を持ったまま壇上の椅子に座り、コーラス部の歌声にじっと耳を傾けるディラン先生。目頭を幾度か押さえる様子が見られました。異国の地で聴く祖国の民謡はディラン先生の心に深く響いたことでしょう。

   最後は全校生徒及び職員による校歌斉唱を行い、拍手の中、ディラン先生は生徒たちの間を通って、体育館を退場されました。

   アイルランドは、地理的には遠く離れた島国です。しかし、かつて明治24年から3年間、アイルランド人の父とギリシア人の母を持つラフカディオ・ハーン(帰化して小泉八雲となる)が熊本の青年達に英語を教えたことから、熊本とアイルランドの関係は早くから始まりました。ハーンが住んだ家は今も熊本市に記念館として保存公開されています。また、市民有志によって「熊本アイルランド協会」という団体も結成されています。人と人との出会いによって、国と国との関係が始まるのです。私たちにとって、アイルランドはディラン先生の国として特別な存在になることでしょう。

 

御船町の本町通り歴史散歩 ~ かつて御船に県庁があった

 

   「御船町に県庁があったことを知っていますか?」と、御船高校に赴任した私に藤木町長が言われました。続けて、「但し、たった二日間ですが」と笑って付け加えられました。

 時は明治10年(1877年)2月のことです。西郷隆盛率いる薩摩軍が北上して、政府軍の立てこもる熊本城を包囲しました。西南戦争の始まりです。お城の近くにあった熊本県庁は2月19日に避難し、郊外の御船に仮県庁を置いたのです。しかし、この一帯も混乱しており、結局、21日には御船から仮県庁は出て行きます。「御船の二日県庁」と語り伝えられるゆえんです。仮県庁はその後も県内を転々とし、4月16日に熊本城近くの元の場所に戻りました。なお、田原坂の戦いで政府軍に敗れ、熊本城の包囲網を解いた薩摩軍は、4月に御船付近で数次にわたって政府軍と戦火を交えます。特に最後の4月20日の戦いは激しく、政府軍が御船町を占領することで、薩摩軍は山道を矢部方面へ撤退していきました。その後、二度と薩摩軍が熊本平野に戻ってくることはありませんでした。

 「県庁跡」は御船川左岸の本町通りです。ここはかつて御船の商業の中心だったところで、漆喰の白壁の建物前に「史跡 熊本県庁跡」の白い標柱が立っています。背後の建物は、築100年以上の歴史的建造物の「池田活版印刷所」(明治33年創業)です。こちらは今も鉛活字を使った昔ながらの手法で印刷を手がけておられます。先日、本校の美術科の職員等と訪問したところ、5代目店主の吉田典子さんが懇切丁寧にご案内してくだいました。店内は、インクの匂いが漂い、大量の鉛活字の棚や黒光りする印刷機が存在感を示しています。名刺やノートを手に取ると、活版印刷による味わい深い凹凸感がありました。今後、美術コースの生徒の見学やワークショップを実現したいと思います。

 池田印刷所の隣が「御船街なかギャラリー」です。もともとは江戸時代後期に建てられた大きな町屋で、豪商の林田能寛(はやしだよしひろ)の商家(「萬屋」)でした。白壁土蔵造りの酒蔵や商家が次々と消えていく中、往時の町並みを伝える建物として御船町が所有し、現在は交流施設として観光協会が運営されています。太い梁や柱の趣ある主屋をはじめ離れや庭、さらには二つの大きな蔵があり、御船高校芸術コースの書道や美術の学習成果発信の場として活用できないか検討しているところです。

 令和の世にあっても活版印刷が行われていたり、江戸後期の商家建築が活用されていたりと御船町の本町通りは奥が深い場所です。歩いていると歴史をさかのぼっていくような感覚に包まれます。皆さんも歩いてみませんか?

 

選手10人の入場行進 ~ 夏の全国高校野球熊本県大会

 

 「御船高等学校」と球場にアナウンスが響きました。御船高等学校野球部の選手10人の入場行進です。キャプテンの久佐賀君が校旗を持ち、その後ろに3人ずつ3列で9人の選手が続きます。バックネット裏に座っていた私の周囲では「あれ?御船はたった10人かな?」という声がしましたが、私は気になりませんでした。本校野球部は部員不足で悩まされ、常に少人数で取り組んできて、7月7日(日)の第101回全国高等学校野球選手権熊本大会開会式を迎えたのです。二日前、学校のグラウンドで入場行進の練習をする選手達に、「少人数でもキラリと光る行進をしよう」と励ましたところです。

 藤崎台球場は、県内の高校球児にとっては「熊本の甲子園」のような場所です。樹齢七百年の七本の大楠(国天然記念物)が外野席後方から見守る伝統ある球場に、御船高校単独チームとして入場行進ができたことを誇りに思っています。今年は第101回大会。テーマは「新たに刻む、ぼくらの軌跡」です。少子化に伴う高校生減少によって高校球児も減っています。また、熱中症の危険性も高まり、真夏の大会運営における安全性の確保が求められています。

 しかし、様々な困難がある中、高校野球のひたむきさ、最後まであきらめない姿勢などは観る人に元気を与えます。そして、6月上旬に県高校総体・総合文化祭が終わることで大部分の3年生が部活動を引いた後、野球部だけが1ヶ月余り練習に汗を流し、3年生にとって部活動の総仕上げの意味もあり、他の生徒たちの熱い応援もあります。夏の高校野球は国民にとっても風物詩のようなもので、我が国独自の学校文化と言えると思います。

 御船高校野球部の初戦は7月8日(月)の第2試合(県営八代球場)となりました。当日は、電子機械科1年生(A・B組)の鹿児島県の川内発電所見学の引率が早くから予定されており、抽選結果の日程を残念に感じました。開会式後、選手達には「1回戦を突破したら応援に行けるから、勝ってくれ」と檄を飛ばしました。しかしながら、結果は熊本高校に大敗を喫したのです。たった二人の3年生の久佐賀君(捕手)と内村君(投手)が最後にバッテリーを組んだことを後で知り、少し救われた気持ちとなりました。

 勝った時よりも、負けた時の方が学ぶことは大きいと言われます。本校の3年生の皆さんの多くは十分に力を発揮できず、部活動の終わりを迎えたことでしょう。しかし、高校生としてこれからが本当の勝負です。皆さんには無限の未来が広がっています。敗戦の悔しさをエネルギーに変え、一人ひとりの進路実現に向けて挑戦していってほしいと期待します。後ろを振り返る必要はありません。夢、希望、目標は前方にしかないのです。