校長室からの風

水害の恐ろしさ

   「これまでに経験したことがない大雨」、「数十年に一度の豪雨」など、気象予報で最大限の警告を近年よく聞くようになりました。そして、毎年のように梅雨末期の7月には、日本列島のどこかで大規模な水害が発生してきました。しかし、それらは遠い地域で起こったニュースであり、私自身、水害の真の恐ろしさがわかっていなかったと思います。

 7月4日(土)の未明から朝にかけて、熊本県南部に「短時間大雨情報」が幾度も発出されるような記録的豪雨が降り、一級河川の球磨川水系が広い地域で氾濫し、土砂崩れや洪水など大災害となりました。50人を超える人命が失われ、人吉市、球磨郡、芦北地域等、甚大な被害が出てしまいました。災害発生から今日で3日目となりますが、交通手段や通信網が寸断され、被害の全容さえ把握できていない状況です。見知った場所が、茶褐色の土砂に覆われ一変した光景をテレビのニュース映像で見ると言葉を失います。

 御船高校に赴任する前、私は4年間、球磨郡の多良木高校の校長を務めていました。人吉・球磨地域は、鎌倉時代から江戸時代まで相良氏によって統治され、熊本県の他の地域とは歴史、風土とも異なり、個性ある文化に恵まれたところです。そして、その景観の中心に存在するのが球磨川です。日本三急流の一つと言われ、勾配が急で流れの速さで知られますが、清流と呼ぶにふさわしい川です。球磨川沿いにJR肥薩線が走っていますが、黒煙をあげばく進する「SL人吉号」が川面に映る姿はまるで一幅の絵のようでした。

 「かはちどり 鳴けばみおろす 球磨川の

         瀬の音たかし 霧のそこより」(中島哀浪 歌碑)

 この歌碑が立つ人吉城跡の岸から、球磨川とその向こうの旅館街、市街地をよく眺めたものです。人吉、球磨の冬の風物詩の川霧が現れると、幻想的でもあります。あの情緒ある城下町の風景が損なわれたことがいまだ信じられません。

 さらに、第3セクターの「くま川鉄道」が鉄橋崩落をはじめ大打撃を受けたことがとても心配されます。「くま川鉄道」は、球磨川沿いに開けた盆地の人吉市及び球磨郡を東西につなぐ貴重な公共交通機関です。特に、高校生は通学手段にこの鉄路を利用しています。安全でのどかなローカル鉄道の復活を願います。

 刻々と報道されるニュースで被害が拡大しており、不安が増すばかりです。しかし、人吉・球磨の高校生たちが泥だらけになり、市街地の土砂を掻き出すなど復旧ボランティアに汗を流していることも伝えられています。たとえ時間を要しても、若い力が復旧、復興の中心となるものと信じています。