徒然雑記帖

2017年9月の記事一覧

秋分の日と今日とtwelveの関係


今日は雨。体育大会の練習は人吉市の体育施設であるスポーツパレスの大アリーナで現地集合・解散で行われました。

生徒の皆さんは体育大会の練習の疲労はたまっていませんか?

秋分の日を過ぎ朝夕は肌寒さすら感じますが、風邪をひかないように体調管理をしっかり行って、体育大会まで残された数日を乗り切ってほしいと思います。

ところで、4日前の秋分の日の新聞に、「今日は『昼と夜の長さが等しくなる日』としばしばいわれるが、実際は昼の方がすこし長い・・・」とありました。

「えっ、どういうこと?」と思って、国立天文台の暦計算室のサイトで人吉市の日の出日の入りの時刻を調べたら、本当にそうでした。(以下、秒以下を四捨五入して表示しています)

秋分の日(9月23日)

日の出:午前6時6分、日の入り:午後6時13分、昼の長さ:12時間7分

ひょっとして、その地の経度や緯度の関係で「すこし長い」のかと思って、日本標準時子午線である東経135度が通る兵庫県の明石市と、念のため東経144度の北海道網走市の秋分の日における日の出入りの時刻を見てみました。


    兵庫県明石市(東経135度・北緯35度)

日の出:午前5時49分、日の入り:午後5時56分、昼の長さ:12時間7分


    北海道網走市(東経144度・北緯44度)

日の出:午前5時11分、日の入り:午後5時19分、昼の長さ:12時間8分


    緯度や経度に関係なく、昼が夜よりも7~8分長いことが分かりました。それなら、一体いつが昼と夜の長さが同じになるのだろうと思って、それぞれの都市の日の出入りの時刻を表示した画面をスクロールさせてみました。

以下は、人吉市(東経131度・北緯32度)の今日9月27日の時刻です。

日の出:午前6時8分、日の入り:午後6時8分、昼の長さ:12時間0分


    ということで、人吉市では、何と今日が昼と夜の長さが同じであることが分かり、軽いショックを受けて眩暈(めまい)がしました。昼と夜の長さが同じ日が秋分や春分の日と小学生の時から覚えていたのに、実際はそうではなくて4日もずれているということをこの歳になるまで認識していなかったということにです。

なぜこんなことになっているのでしょうか?私は中学校の時の理科の特に天文分野があまり得意ではなく、今でも苦手意識がありますが、生徒の皆さん方はいかがでしょうか。その理由を知っていますか?

そもそも、昼と夜の長さが同じ(とされる)日を秋分の日と制定し、祝日にまでするというのはどのような思いがあるのでしょうか。仏教の世界では、極楽浄土は西にあると言われています。秋分の日は太陽は真西に沈むので、その沈む太陽に祈りを捧げるためでしょうか?

祝日は多いほど単純に嬉しいのですが、4日のずれの謎と共に疑問に思います。

ところで、今朝8時00分の本校の総アクセス数は768002でした。

例によって、数字の並びをそのままにして、加減乗除等の記号を入れてみたくなりました。今日が昼と夜の長さが丁度12時間ずつということで、12twelve)を作ってみることにします。


                    7+6+8+0-2
12 ・・・①

【注】 中学生の皆さんへ

この式の中にある 8は1になります。0を除くどんな数も0乗すると1になります。高校の数学で詳しいことを学習しますが、今は約束みたいなものと覚えておいてください。

あまりにも簡単にできたので拍子抜けしました。今ひとつやり甲斐を感じなかったので、12時間後の夜8時00分の総アクセス数で再び12を作ってみることにしました。

午後8時が待ち遠しかったです。HPを開けたらその数、768648でした!さっそく立式に取り組みましたが、またしてもいとも簡単にできてしまいました。


                     76-(8+6)×4-8
12 ・・・②

ということで、①式と②式をイコールで繋いでみます。

                      7+6+8+0-276-(8+6)×4-812 ・・・③

              (午前中に立式した)昼の長さ (午後に立式した)夜の長さ  (12時間)

  
    ③式は、意味もないお遊びでした。チャンチャン!                               【校長】

今日は新月、明日は繊月


 放課後、球磨川に架かる水の手橋のすぐ上流で、カヌー部の部員たちが人吉高校の部員たちと合同で練習をしています。インターハイが終わり、3年生が引退した新チームの部員数は両校とも15人ずつだそうです。この時期、「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」のたとえのように、すぐに日が暮れるので、練習メニューに工夫が必要だと中島監督から伺いました。
 
 監督がハンドマイクで指示を送る岸の対岸には、人吉城跡の石垣が一望できます。

そちら側に渡って、城跡に入ってすぐの所に設置されている案内板(左の写真)には、「人吉城は中世から近世にかけて球磨郡を支配した相良氏歴代の居城で、近世以降は対岸に城下町を形成し、これが現代までの繁栄の礎になった・・・」と、ありました。

これを読みながら、赴任直後に「人吉城にはどうして天守閣がないのか」という疑問を持ったことを思い出しました。というのも、高校の頃、威風堂々とした熊本城を正面に見ながら毎日通学していていたので、お城には天守閣があるのが当たり前という思い込みみたいなものがあったからです。そこで、

①元々、建てる気がなかった。

②建て始めたけど、諸事情により断念した。

③建てていたけど、地震や火災に見舞われ今は残っていない。

の3つの仮説*1を立てて、隣にある人吉城歴史館を訪ねてみました。

資料館の説明書きを読み進めるうちに、「えぇ?」と思ったことがありました。人吉城の別名です。生徒の皆さん方は地元だからモチロン知っているはずです。「繊月城」と優美な名で呼ばれているんですね。繊月って右のイラストのように、繊維みたいな細い月です。「なぜ?」って思いながら、さらに読み進めました。以下はその説明書きです。

相良家初代の相良長頼が源頼朝の命により遠江(今の静岡県)から人吉荘に下向した際、人吉荘には元々、平清盛の異母弟・平頼盛の荘園で、その代官として矢瀬主馬佑(やせ しゅめのすけ)が居住していたが、受け渡しに応じようとしないので、長頼が主馬佑を討って入城を果たした。その後、居館を構えるために修築を始めると、三日月模様の奇岩が発見され、そこから繊月城と呼ばれるようになったと伝えられている。

ショーケースに丁重に収められた石の表面に、確かに黄色っぽい三日月のような模様が見てとれます。早速、パチリしたのが右の写真です。これをもとに、誰かが「繊月城」とネーミングしたわけで、だからこそ後生の私たちがそう呼んでいるわけです。名付けた人は何と風情がある人だったんだろうと思いました。

また、人吉では定番の焼酎に「繊月」と名付けられた銘柄があり、そのラベルに細い三日月のマークが印刷されていることもスッキリ納得しました。

ところで、私、夜道を歩いている時など、夜会に向かうネコだけでなく、夜空に浮かぶ月も必ず探してしまうほうで*2、スマホに月のカレンダーアプリを入れているほど月に魅せられています。夜の主役、月に関しては、思い出すことがいくつかあります。

まず、9月3日の秋篠宮眞子さまと小室圭さんの婚約会見で、お互いを太陽と月に喩えるコメントがあったことは記憶に新しいところです。この第4次産業革命真っ只中の現在、何という雅(みやび)な話だろうと思いながら聞きました。

次の話は私が中学1年の頃ですから、今から44年前のことです。当時、吉田拓郎さんの「旅の宿」が流行りました。この歌の出だしは「浴衣の君はすすきのかんざし~」と歌われるので、秋の頃なんでしょう。そして「上弦の月だったけ 久し振りだね 月見るなんて~♪」と続いていきます。おそらく旅先で温泉にでも入ってから、彼女とお酒を酌み交わしつつ、夜8時過ぎに西の空を見上げたら、夜空に上弦の月が輝いて見えたのかもしれません。

ちょうどその頃、理科で月の満ち欠けを学んでいました。先生が、この歌を話題にして、「上弦の月をノートに描いてごらん」と問題を出してきました。多分、誤答珍答だらけだったんでしょう。先生は月と太陽の位置関係の図を描きながら、「地球(人間)→月→太陽」の状態だと新月で、太陽と同じ方向にあるので太陽の明るさに隠れて月が見えなくなり、逆に「月←地球(人間)→太陽」の状態が満月などと、正解を一生懸命教えてくださいました。

皆さんは、上弦の月と下弦の月の見分け方は大丈夫ですか?また、世界中どこから見ても人吉の夜空に浮かぶ月と同じ形の月が見えているのでしょうか?ヤフー知恵袋などを見ると、そういったことの質問が結構沢山あるようですが・・・。

もう一つ思い出すのは、高校の国語(古典)の授業の時の話です。

「・・・枕草子の中で『夏は夜。月のころはさらなり』とか『月は、有明の東の山ぎはに、細くて出づるほど、いとあはれなり』などと出てきますし、平家物語でも月見の話が格調高く語られています。百人一首には月の歌が何と12首*3も収められています。・・・」

ごめんなさい。はっきりと覚えていませんが、きっとそのような前置きがあったはずだと想像します。その後に次のようなことを語られました。

「満ち欠けする月のうち、満月(十五夜)の後の月ほど違う名前で呼ばれている時期はありません。十六夜(いざよい)の月*4、立待月、居待月、寝待月、更(ふけ)待月・・・。ということは、『昔は待ちの文化だったのか?』・・・」

待ちの文化」という言葉が、いと切なく印象的でした。立待月とは、日没後、立って待っていても疲れないくらいにすぐ現れる月、ということから名がついたそうです。最初は立って待てますが、翌日は座って(「居」は「座る」の意味)、翌々日は寝て、更にその翌日は夜も更けるころまで待つのだとか。月を見上げながら待ち焦がれていたのは誰なんでしょう。恋人?

そう言えば、「男はいつも待たせるだけで~、女はいつもまちくたびれて~♪」というのがありました。やるせないですね。

生徒の皆さん方は、十六夜の月 ~ 更待月のそれぞれを下の写真の中で特定できますか?

閑話休題。今夜は新月で、10月4日(水)の中秋の名月*5に向けて、満ちていく月(waxing moon*6のサイクルがスタートします。新しいことを始めたり、知力・体力作りにはもってこいの時期になります。今夜の新月のうちに、心身のメンテナンスを行い、勉強部屋の5Sなど環境もしっかり整えて、明日以降に臨みましょう。ぜひ、月の力にあやかりたいものです。

とは言っても、春咲く花、夏咲く花、秋に咲く花、冬に咲く花と、花も開花の時期が違うように、回りの人と同じである必要はありません。自分のリズムを見つけることが大事です。

最後に・・・、明日、日没後1時間程の夕暮れの空を見上げてみてください。相良のお殿様もきっとお城から眺めたであろう繊月が見えればいいですね。

           【校長】




*1
手元の人吉球磨検定の公式テキストブックのp.85に以下のようなくだり(特に下線部)がありますので、②が正解だと思われます。

・・・(前略)・・・球磨郡を領有する大名として、本拠を人吉に戻した相良氏は、統治の拠点であり近世城郭として、20代当主長敏により天正17年(1589)に人吉城の築城を開始する。この工事では豊後国から石工を招いて石垣を着工し、城の中心部である本丸・二の丸・堀・櫓御門まで完成したが、工事再開から5年も経たない文禄年間(1593~)に、またも朝鮮出兵、関ヶ原の戦いに巻き込まれて工事は中断した。

再度工事が始まったのは、江戸幕府が開かれ、世情もやや落ち着いた慶長12年(1607)からで、この工事では城外郭の石垣普請を行い、川沿いの石垣もこの時に築かれた。工事は進み、寛永3年(1626)には、本丸に5階建ての天守を築造する計画の3階まで完成していたが、「3階以上の物見櫓は叶わぬ」の風潮から、幕府に気がねし、最上階を取り払って2階建ての護摩堂にした。そのためついに天守閣を持たない城となってしまった。その後も工事は続き、寛永16年(1639)に相良清兵衛事件とこれに伴う「お下の乱」が起こると、またも「風説よろしからず」と幕府に気がねして工事自体を断念した。が、この時までに天守以外の大半はほぼ終了していたようである。

その後、二百年近く平穏に過ぎたが、徳川時代も後期の享和2年(1802)と文久2年(1862)に2度の大火に見舞われ、特に2度目の寅助火事は城下はもちろんながら、城内の建物群が全焼する大惨事となった。しかも、この時期の相良藩は財政難に苦しんでおり、城の再建は一部でしかされなかったが、それでも居館の北側の石垣が防火対策としてかさ上げされて、後に「武者返し」と呼ばれる西洋式の築城工法である跳ね出し石垣が築かれた。これは国内でも函館五稜郭と品川台場にしかないものである。・・・(以下略)・・・

 

*2生徒の皆さん方はどのような月が好きですか?

 月が最も美しいのは何といっても秋とされていて、「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という戯(ざ)れ歌があるように(「月」が8つ出てきて、月を見るのは旧暦8月であると)、中秋の満月の美しさを讃える人は昔から多いようです。

私も若い頃はそうだったように思いますが、歳をとるに連れて月への好みも変わってきたような気がします。いつの頃からか、冬の夜に寒々と照りわたる月が好きになりました。「月冴ゆ」は冬の季語ですが、冷たく張りつめた冬の空に輝く澄んだ月を仰ぐのはなかなかいいものです。

雨の日の月について、徒然草の中で兼好法師は、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し」と書いています。「花は満開のときだけを、月は雲りがないのだけを見るものであろうか、いやそうではない。降っている雨に向かって(見えない)月のことを慕い、すだれを垂らして室内にこもり春が移り行くのを知らずにいるのも、やはりしみじみとして趣(おもむき)がある」というのが口語訳です。そういうゆかしい境地になるには、さらに歳を重ねないといけないのかも・・・?

*3以下の12首です。生徒の皆さんは、月に託した思いに共感できる歌が何首ありますか?

 7 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも        安倍仲麿 

21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな     素性法師 

23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど     大江千里 

30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし        壬生忠岑 

31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪         坂上是則 

36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ       清原深養父 

57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな   紫式部 

59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな   赤染衛門 

68 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな      三条院 

79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ      左京大夫顕輔 

81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる       後徳大寺左大臣 

86 なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな       西行法師

(30番の壬生忠岑の歌は「月」という言葉こそ出てきませんが、有明の月のことを言っているのは明らかなので、月の歌に含めました)

*4十六夜の読み「いざよい」については、鎌倉時代の紀行文学に「十六夜日記」があり、物語の内容は知らずともその読み方を一般常識対策で覚えた人は多いはずです。

「いざよい」自体の意味を改めて調べたところ、「いざよいとは、躊躇(ためら)うという意味の動詞『いざよう』の連用形から名詞となったもの」とありました。

十五夜とは月が最も満月に近くなる日として、旧暦の8月15日は「中秋の名月」として昔から特別視されてきたわけですが、その日以外の月の15日も十五夜と呼びます。そして、この十五夜の翌日の月を「十六夜」と呼ぶのは、満月の翌晩は月の出がやや遅くなるのを、月がためらっていると見立てたものらしいです。

なお、「十六夜日記」は、筆者が京都から鎌倉へ下った時の旅の始まりが旧暦の10月16日だったところから名付けられたようです。

全く関係ありませんが、「十六夜の月」と名付けられた期間限定のビールが9月頃に発売されていたことがあり、「何と日本的情緒に訴えるネーミング!」と、ため息をついたことがありました。

*510月4日(水)は中秋の名月ですが、実はこの日は必ずしも満月になるわけではありません。月の軌道や地球の軌道が楕円の関係で、むしろ満月でないことのほうが多いくらいなんだそうです。今年もわずかに欠けていて、満月は2日後の10月6日(金)になります。この「曖昧さ」、月を眺めるうえで混乱の原因になるわけですが、悪くないと思っています。


*6
「ワックスをかけた月」なんて変な訳をしたらいけません。なお、欠ける月はwaning moonと綴ります(wane[ウェイン] は「月が欠ける」という意味)。ポーランドだったかポルトガルだったか忘れましたが、「月に恋は満ちれば欠ける」というのがありました。似た表現で、昔見た映画の中に「税金と死からは絶対に逃げられない」というセフリがあったことも思い出すわけですが、どちらも言い得た妙だと思っています。

ちなみに、満月、新月、三日月、半月(弦月)などを英語でどう表現するか調べてみましょう。

答:順にfull moon、new moon、crescent moon、half moon 


758697 is an interesting number!

      いつも本校のHPにお越しいただきありがとうございます。

758697 とは、9月19日(火)21時10分現在の本校のHPの総アクセス件数です。

 

これは、とても面白い数字だと思いました。各桁の数を一つおきに並べると、7,8,9あるいは 5,6,7と昇順に連続する3つの整数になります。また、2桁ずつ区切って並べると、75,86,97となり、公差が11の等差数列になっています。

 

今後、70万代でこのような数字になるのは、768798 と778899 がありますが、いずれも同一の数が各桁に現れています。758697 は各桁が全て異なる数字であるという点に特に興味がそそられます。6桁の数字でこのような性質をもつ数の最大値であり、最小値の142536 を通り過ぎたのは、平成27年の7月初旬(だったはず?)ですから、月日の流れも感じます。

 

ちなみに、758697 の各桁の数の和は42になり、3で割り切れますので3の倍数であり、実際、758697=3×252899と素因数分解されるので、これは素数ではありません。

 

学校では今日から体育大会の練習が始まりました。疲労を明日まで残さないように十分に睡眠をとって、本番までの2週間を乗り切ってほしいと願っています。

【校長】

 

就職・進学試験の必勝を期して

   本日早朝7時半、青井阿蘇神社に機械科の3年生(79人)が集まり、就職・進学試験の合格祈願をしました。(その様子は、機械科のブログに譲ります)

 

青井阿蘇神社、大同元年(806年)の創建ですから、千二百年以上も昔から球磨川畔の地に鎮座していることになります。人吉の方にとっては、古くから心の拠り所であり、崇拝と誇り、自慢の元であり、生徒の皆さんにとっても、小さいときから七五三をはじめ初詣など何かにつけ神頼みをする神社だからなのかもしれません。

 

私は、国宝指定(H20.6.9)前後に観光で数回訪れたことがあります。赴任後は、神社の前の池に咲く蓮の純白の花や、境内に放し飼いにされているチャボの赤いトサカなどに惹かれて、近くを散歩するたびにもう20回以上足を運びました。地元では親しみを込めて「青井さん」と称されているそうですが、担任の先生も畏まってか、敬意を込めてか?「青井阿蘇神社」と正式名称で生徒に話しかけておられたように、まだそう呼ばれているのを耳にしたことがありません。

来る10月9日の「おくんち祭り」では、神行行列に本校生徒が70人程参加する予定で、何となく楽しみにしているところです。


ところで、生徒の皆さん。青井阿蘇神社の楼門に掲げられている額の文字は知っていますか?あまりにも身近な存在だからこそ、「灯台もと暗し」で意外に知らないかもしれません。

実は、私が今興味をもって取り組んでいる「人吉球磨検定(3級)」に、このことが次のように出題されていました。

 

国宝である青井阿蘇神社の楼門に掲げられている額の文字で正しいものはどれでしょう。

ア 青井阿蘇神社 イ 青井大明神 ウ 妙法印 エ 青井阿蘇社殿 オ阿蘇神社

 

あえて答は書きません。「えっ!何だっただろう?」と思った人は、早速行って確かめておいてください。神社の楼門にある額は、家における表札と言ってもいいかもしれません。このことも知らずにお参りをしていたら、「願掛け」も効かないかもしれませんので・・・(^^)


 

願掛け」で思い出しました。昨夜の綺麗な満月を見た人は多いと思います。

今日から欠けていく月のサイクルがスタートし、沈静・休息の力が高まっていくわけですが、まだ今日までは満月の力が残っているはずです。(何となくスピリチュアルな話になってしまいましたが)今日まではパワフルに行動したほうがいいかもしれません。その意味でも知らなかったことは、その日のうちに確かめておきましょう!

【校長】

 

アクセス数736243 → 6,2,4の並びに15を見る

始業式の日の朝、「いよいよ2学期がスタート」ということで、少し気持ちが高揚していたのかいつもより早く目が覚めました。朝4時40分、部屋の温度は24.8℃、湿度53%、虫の音が響き、涼しく爽やかな夜明け前でした。

「2<<8とは末広がりのいい数字。確か、くまがわ鉄道の始発駅(人吉温泉駅)と終着駅(湯前)の営業距離数も24.8kmだったよね」とか頭を駆け抜けました。

珈琲を淹れた後、夏休み中、事故・怪我等の報告は受けてなかったので、「全員揃って始業式を迎えられればいいな・・・*1」と思いながらHPを立ち上げたら、午前5時7分現在の総アクセス件数は、

736243

 

「これって素数*2っぽい匂いがする!」と思って、暫く電卓を使って割り算を試みましたが、なかなか素因数が見つかりません。「ひょっとして、やっぱり素数?」と嬉しく思い、学校に行ってネット上の素数判定機にかけてみたら、予想どおり、みごと素数でした。

 

私、生徒の皆さん方からすごく丁寧な挨拶を受けますが、めったに話しかけられることはありません。自分が高校生の時を思い出しても、校長先生は遠い存在であり、言葉を交わした記憶はありませんので、無理もないと思っています。それなのに、何と、夏休み中にある生徒から声をかけられました。それも素数のことについてです。それも「どうして数をみただけで、素数と分かるのですか?」という極めつきの質問でした。

 

工業を学び、数字と縁が切れない職に就く人が多い皆さん方に「数字に強くなってほしい」という願いを込めて、色々な切り口から数字に関する記事を書いてきました。アクセスカウンタの記録から、かなりの生徒の皆さんが自校のHPを見ていることは間違いないとは思ってはいましたが、私の記事を読んで、素数に関心を持ってくれている生徒がいることをとても嬉しく思った瞬間でした!

 

でも、あまりにもストレートな質問であり、うろたえました。咄嗟のことで「いい質問だね」というのがやっとでした。というのも、素数かどうかの判定はコンピュータでさえ素数で次々に割っていくプログラムでやっているわけで、見ただけで分かるはずがないからです。「近々HPに、素数の見分け方の記事を書いておくから、それを読んでね」とその場を切り抜けました。ということで、興味がある人は少し長くなりますが、脚注*をお読みください。

 

ところで、この736243を使っていつものように、数字の並びをそのままにして、加減乗除等の記号を入れてみたくなりました。新学期の9月1日*4にちなんで91という数字を作ってみることにしました。

 

73+sin-1{(√6-√2)÷4}+3=91

 

数字の真ん中ほどの6,2,4の並びに閃くものがあり、完成したのが上の式です。でも、「sin-1って何?」という声が聞こえてきそうです。加減乗除等の「等」をかなり拡大解釈しています。いつもは「中学生の皆さんへ」という脚注をつけていますが、今日は「sin-1ついて」という脚注を設けます。レベル的には、数学Ⅱで三角関数の加法定理を1学期に学習した2年生以上の皆さんが対象になります。

 

【注】 sin-1について

 

sin-1とは「サインインバース」と読み、sin-1 xは、「サインの値がxになるような角」を返す関数(サインの逆関数)です。右肩の「-1」の記号は、逆三角関数を意味する記号で、「マイナス1乗」ではないことに注意が必要です。

例えば、sin301/2ですから、sin-1(1/2)30(度)となります。(通常、xの定義域は−1 1で、その値域は「度」の場合、−90° y 90°となります)

なお、sin-1xは、arcsinxと表記することもあり、この場合は「アークサイン」と読みます。この逆三角関数は、高校でも学習しませんので、中学生は勿論、高校1年生の皆さんも今は何のことか分からなくても構いません。「そんな数学があるんだ・・・」というくらいの理解でもいいと思います。(ところが、なぜか校内で沢山の人たちが受ける計算技術検定2級には出てくるのです!この逆三角関数の問題が。昔から不思議に思っていました)

 

次に、高校2年生以上の皆さんは、sin(α±β)=sinαcosβ±cosαsinβという三角関数の加法定理を思い出してもらわなければなりません。ここで、α=45、β=30と代入してsin15を計算すると、

 

sin15sin4530

sin45cos30cos45sin30

(2/2)×(3/2)(2/2)×(1/2)

(6-√2)/4  (=(6-√2)÷4)     となります。

 

従って、sin-1{(6-√2)÷4}15 (単位は「度」)となるわけです。

 

早い話、6と2と4を使って15という数字を作りたかっただけの話です。

(6!÷2÷4!=15です。そんな面倒くさい関数を使わずに、いとも簡単に15ができることに、たった今気付きました)

 

 

話は大きく変わりますが、昨夜、ラジオを聞いていたら、アメリカの駐在員が「こちらでは8月末か9月頃に新学期が始まる大学が多く、新学期の始まりを"back to school" というフレーズを使うことが多いです。これを聞いたら、『あ、新学期が始まったんだな…』と感じます」とか言っていました。なるほどと思いました。

その後、街を歩く学生にインタビューをされていて、早口の英語が聞こえてきました。所々しか聞き取れませんでしたが、次の英文だけはどうにか聞きとれました。皆さんならどう訳しますか?*5

 

School has started and I like it so far.

 

このような一日であったでしょうか。

今日の始業式でも申し上げましたとおり、2学期が充実したものであることを願っています。

【校長】

 

*1お昼過ぎ、教務主任の先生から今日の出欠状況の報告を受けました。3学年揃って欠席、遅刻等ゼロ。在籍する全員で新学期を迎えることができることに幸せを感じました。

 

 

*2素数(prime number:プライムナンバー)とは、「2以上の整数のうち、1と自分自身でしか割ることができない数」です。「1とその数以外、正の約数がない数」と言ってもいいです。例えば1から100までの100個の整数の中には、2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,43,47,53,59,61,67,71,73,79,83,89,97

25個の素数があります。

古代ギリシャの学者エラストテネス(紀元前276?~紀元前194?)は、連続してたくさんある整数の中から素数だけを抜き出す方法を発見し、これを「エラストテネスの篩(ふるい)」といいます。これは一種の「消去法」です。

まず、調べたい全ての整数を順番に一覧表に書き出します。その表の中で、まず1は素数でないのでこれをまず消します。次に2は素数なので残し、2の倍数を消します。次に、3は素数なので残し、3の倍数を消します。同様に5を残し5の倍数を消し、7を残し7の倍数を消します。このように次々に素数を残しその倍数を消していくと、最後に素数が残ります。

ちなみに、1から100までの素数を求めるには、√100、つまり10までの素数の倍数、即ち、2,3,5,7の倍数を自身を残して消していけばいいです。(1は素数ではないので消し忘れないように)

このエラストテネスが発見した方法は、極めて原始的ですが、2000年経った今でもこの「エラストテネスの篩」に勝る方法は見つかっていないそうです。ちなみに、歌手の中尾ミエさんが歌う「エラストテネスの篩」という分かりやすく楽しい動画がEテレ(NHK教育)の2355という番組(月~金の23:550:00)でたまに放送されているらしく、私が素数の虜(とりこ)になっていることを知る知人から教えていただきました。それ以降、時々思い出したように番組を見ていますが、まだ目にしていません。

 

 

*3素数の見分け方」とは(ありもしないという意味で)大胆不敵なタイトルです。

 

その話をする前に、まずは、数の性質として次のことは大丈夫でしょうか?

2の倍数の見つけ方=下1桁が2で割れる(偶数ならOKということです)

3の倍数の見つけ方=各桁の和が3で割れる

4の倍数の見つけ方=下2桁が4で割れる

5の倍数の見つけ方=下1桁が0か5

6の倍数の見つけ方=各桁の和が3の倍数かつ偶数

7の倍数の見つけ方=ありますが、次のように面倒です。
    7で割った方がよっぽど速いので7で割ってください。

 

①例えば、数字を (abcdefghijkl) とします。

<> a=6, b=7, c=3 の場合  (abc) 673 すなわち 六百七十三 を表します)

②この数字を、1の位から3桁ごとに分けていきます。

abc,def,ghi,jkl

3桁の塊(かたまり)を一つ飛ばしにグループ化します。
       今回は色分けして赤と青のグループにします。

abc,def,ghi,jkl

④グループ毎に和を求めて、その差を計算します。 ( abc + ghi ) ( def + jkl )

(もしも、青の和の方が赤の和よりも大きいのであれば、青 – 赤 の計算をします)

⑤この 差 が 7の倍数であれば、もとの abcdefghijkl 7の倍数です。

   <検証> 813297496970 という数字の場合

      (813496)–(297970

1309 1267

      =42 

(7の倍数なので7で割り切れる。実際、813297496970÷7=116185356710

 

8の倍数の見つけ方=下3桁が8で割れる

9の倍数の見つけ方=各桁の和が9で割れる

10の倍数の見つけ方=下1桁が0

11の倍数の見つけ方=ありますが、これまた面倒です。
    11で割った方がよほど速いので11で割ってくだい。

12の倍数の見つけ方=下2桁が4で割れかつ各位の数字の和が3割れる

 

要は、2、4、8の倍数は下〇桁が割れるかどうかで判断、3、6、9は各桁を足した数が割れるかどうかで判断するということを忘れないようにしてください。

 

では、今年の年号の2017を例にとって、それがどうして素数なのかを一緒に考えてみましょう。

2017は奇数なので、2、4、8の倍数でないことが分かります。

また各桁を足してみると2+0+1+7=10なので3、6、9の倍数でないことが分かります。

では、次にやることが分かりますか? そうです。「7で割る」です。

残念ながら2017は7では割れないので7の倍数ではありません。

 

では、次にやることが分かりますか? 分かりますよね。「11で割る」です。

残念ながら2017は11では割れないので11の倍数ではありません。

 

では、次にやることが分かりますか? 大丈夫ですよね。「13で割る」のです。

残念ながら2017は13では割れないので13の倍数ではありません。

 

このように、どんどん素数で割っていくのです。(記事本文の7行目の下線部、「電卓を使って割り算を試みました」とはこの作業をしていたわけです)

それでは、どこまで割っていけばいいのか考えましょう。

 

2017÷13=155.1・・・ 割り切れません。

2017÷17=118.6・・・ 割り切れません

2017÷19=106.1・・・ 割り切れません

2017÷23=87.6・・・  割り切れません

2017÷29=69.5・・・  割り切れません

2017÷31=65.0・・・  割り切れません

2017÷37=54.5・・・  割り切れません

2017÷41=49.1・・・  割り切れません

2017÷43=46.9・・・  割り切れません

2017÷47=42.9・・・  割り切れませんが、ここでストップです。

 

なぜ、ここでストップするのかというと、割る数よりも商が小さくなっているからです。割る数よりも商が小さくなっているのに割り切れないということは、今後も割り切れる数は存在しないということなのです。(厳密に言うと、√201744.9・・・なので、45の手前の素数43でストップでいいのです)

【まとめ】 2017は素数

 

極めて原始的だと思われたかもしれませんが、先にも書いたとおり、コンピュータを使って素数だけを抜き出す場合にも、基本的には素数の倍数を消していく計算をプログラミングによってさせているだけと聞きます。素数の判定方法の公式や、素数だけを作る公式はいまだ発見されておらず、もし発見したら、世界的ニュースになり、フィールズ賞(ノーベル賞の数学版)受賞は間違いなしと言われているそうです。挑戦してみますか?

 

そういえば、図書館にも入っている科学雑誌のNewton8月号の特集が「素数」でした。

この徒然雑記帳の中で既に話題にしていた「素数ゼミ」(5/11)や「双子素数」(5/20)についても魅惑的なカラー写真が添えて取りあげられている他、「ネットショッピングでカードが使えるのは、巨大な素数のおかげ」など興味深い記事も載っていました。関心がある方は、ぜひ、読んでみてください。


*4今日は、192391日に関東大震災が発生したことに由来する「防災の日」でもあります。北朝鮮の弾道ミサイルに備えた避難訓練が熊本市で行われたというニュースを耳にしましたが、学校の防災マニュアルにミサイル対応まで書き込むべきか悩んでいます。

 9月1日で思い出しました。脚注*2の最後に話題にしたNHKEテレの2355の姉妹番組0655で(午前6時55分~7時放映)で「9□1□」の四字熟語を出題にしていました。

もちろん、答えは「9死1生」(危ういところで奇跡的に助かること。ほとんど死を避けがたい危険な瀬戸際で、かろうじて助かること)です。

言うまでもありませんが、通常、九死一生のように漢数字で書きます。十のうち九まで死の可能性が高いことで、ほとんど死が避けがたい危険な場合をいいます。


*5試訳:「学校が始まりましたが、今のところ嫌なことはありません」