大〆の授業
私自身、花束贈呈などセレモニー的に行われていた大学教官の「最終講義」は別として、高校の最後の授業はほとんど記憶がありません。しかし、今でもその日の天気まで思い起こせるのが一つだけあります。それは国語の授業です。まだ若い先生でしたが、人生についてしんみりと考えさせられる内容を最後の授業の教材にしてくださいました。伊勢物語の最終段(125段:ついに行く道)です。この中に出てくる
つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを
を紹介して解説と鑑賞をされたのです。
これは「ちはやふる・・・」の百人一首で有名な在原業平(825~880)が、病気で伏せたときに詠んだ歌とされています。
人は皆死ぬということは誰でも知っているわけですが、それがいよいよ自分の身になっての驚きと嘆きを詠んでいます。人が必ず行かねばならない道(死)なのだとは聞いて知っていたのだが、こんなにも突然その時がこようとは思いもよらなかったなぁ。人の明日はわからないものであり、そうしたことがあると分かっていたなら、また別の生き方もあっただろうに・・・といったところでしょうか。
特に技巧がないので、今を生きる私たちが普通に読んでも分かりやすく、源氏物語の主人公、光源氏のモデルともされる華やかな生涯を送った業平の生涯を考え合わせると、より強いインパクトを感じます。
古典の文法を覚えるのが苦手で、いつの間にかなるべく関わらないようなっていた古典の授業の受け方を「もっと真面目にやっておけばよかった、時既に遅し・・・」と暗澹たる気持ちになり、この時ほど悔いたことはありませんでした。
そんな私も教職に就き、「やはり教師としては、最後の授業や最後の課外というのは、生徒たちにとって後で思い出してもらえるくらい印象的であって欲しいものだ」と常々考えていました。どんな展開になるのだろうかと、いつもより緊張しながら職員室を出ていたことを思い出します。
左の写真は、機械科3年A組の最後の最後、6限目の大〆の授業の様子です。テスト前ということで、自習をしていました。高校最後の定期考査、頑張ってください。
そして、保護者の皆様方にとってはお弁当作り、本日が実質的に最後になりました。生徒たちはいつも以上に味わって食べたはずで、親子共々感慨深いものがあることでしょう。(右の写真は建築科3年のお昼ご飯の様子です)
生徒たちは帰ってから感謝の言葉を口にしたでしょうか?3年間大変お世話になりました。
【校長】