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校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)
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2018/09/20new

塀の向こうには彼岸花が咲いていた ~ ブロック塀撤去完了

| by:校長

塀の向こうには彼岸花が咲いていた ~ ブロック塀撤去完了

 
 多良木高校の正門から南側にかけて長さ約15m、高さ1.5mのブロック塀が立っていましたが、9月18日~19日の工事で撤去されました。去る6月、大阪府北部を震源地とし最大震度6を記録した地震で、高槻市の小学校のプール脇のコンクリートブロックが倒壊し女子児童が亡くなるという事故が起きました。この痛ましい事故の発生を受け、熊本県教育委員会(施設課)による全ての県立学校のブロック塀緊急点検が行われました。その結果、本校においても正門から南側にかけてのブロック塀と、多良木町迫田の職員住宅を囲むブロック塀が撤去対象に該当することが判明し、今回の工事に至りました。

 ブロック塀は、約20年で鉄筋にさびが認められるようになり、抵抗力が弱くなるそうです。日本建築学会の調査によるとブロック塀に期待できる耐久年数は約30年とされています。また、高さが1.2mを超える塀は、安定性を確保するため構造も複雑で、劣化の影響を受けやすく、倒壊した場合の被害も大きいことを緊急調査の際に配布された資料で知りました。本校のブロック塀は高さが1.5mあり、現在地に移転して数年内に築造されたと推定され、すでに40年を超えていました。内側から支える控壁(ひかえかべ)は付いていましたが、経年劣化していると判断されたのです。

 学校は安全で安心な場所でなければなりません。大阪府高槻市の小学校のブロック塀の危険性が見逃されていたために悲劇が起きました。この事故が起きなければ、私たちも多良木高校のブロック塀の危険性を意識することがありませんでした。日常見ていても、意識しないと危険性を見出すことはできません。2年前の熊本地震において球磨郡は最大震度4を記録しましたが、ブロック塀に異変は生じませんでした。油断があったのです。

 ブロック塀がなくなり、今まで塀で遮られていた風景が見通せるようになりました。何かとても風通しが良くなった気がします。撤去されたブロック塀の向こうには、真っ赤な彼岸花と緑から黄色に変色している稲穂の田園風景が広がっています。この夏、記録的な猛暑、台風や地震の自然災害に日本列島は見舞われました。まだその傷跡は癒えておりませんが、ようやく実りの秋を迎えようとしています。


 


13:25
2018/09/06

3年生を励ます ~ 3年生進路激励会

| by:校長

3年生を励ます ~ 3年生進路激励会

 進路を決める高校3年の2学期を迎えました。

 自らの進路達成に挑戦する皆さんに対し、追い風が吹いていると私は思っています。今年度で閉校する多良木高校の最後の学年である皆さんは、入学以来、期待と注目の存在です。96年の歴史のアンカーです。同窓生の方が、地域の方が、そしてメディアまでもが注目し、応援してくれています。そのことは皆さんも実感していることでしょう。

 閉校すると分かっていながら多良木高校を志望した皆さんの選択は間違っていなかったと思います。他の学校ではとうてい得ることができない、特別な体験を重ね、多くの方の応援を受けてきたからです。それは皆さんの強みです。

 小・中学校、高校とこれまで横並びの歩みでした。しかし、高校卒業後の進路はそれぞれ全く異なります。人それぞれです。「この道より我を活かす道なし この道を歩く」(武者小路実篤)という決意、覚悟が問われます。

 「皆さんは豊かな可能性を持っている」と私はよく口にしますが、それは二つの根拠があるからです。高校の教員として32年間、多くの高校生の卒業後の活躍を見てきたこと、そして多良木高校長として4年間、多良木高校の諸先輩たちの活躍を見聞きしていることです。皆さんもきっとできます。

 公務員試験はすでに始まり、一般企業の採用試験は9月16日解禁です。専門学校、大学等の推薦試験も近づいています。就職、そして進学の推薦試験において必須となる面接についてのアドバイスを贈ります。多良木高校だから学べたこと、体験できたことを伝えてください。地域に開かれた学校である多良木高校の生徒として、多くのボランティア活動や地域の方との交流活動を展開してきました。また、少子化が要因で閉校となることを同窓生や地域の方がいかに惜しまれているかを皆さんは知っています。これらのことは他校の生徒では決して話せないことです。

 多良木高校は3年生67人の小さな学校です。しかし、多良木高校生は小さな高校生ではありません。大きな可能性を持っています。その可能性を発揮し、全員、進路希望を実現しましょう。私たち職員全員で支えていきます。


 



17:13
2018/08/30

槻木地区の高齢者の方との交流活動

| by:校長

槻木地区の高齢者の方との交流活動

~ 槻木「希望いきいき学校」 ~    

 昨年度から児童がいなくなり休校状態にある多良木町立槻木(つきぎ)小学校へ、8月30日(木)、3年生の福祉教養コースの生徒14人を引率して行きました。槻木小は多良木高校から南におよそ20㎞離れたところにあります。槻木は多良木町の南の端に当たり、地図で見るとこの地区だけが宮崎県域にぐいと入り込んでいます。槻木地区は住民が120人ほどで高齢化率は77%に達しています。槻木を訪ねるのは容易ではありません。県道143号を球磨盆地側から上り、曲がりくねった細い道を走行し、標高780mの槻木峠を越えなければなりません。ジャンボタクシー2台を貸切り向かいました。

 今年度、休校中の槻木小学校で毎月1回、地域の高齢者の方が集まって「希望いきいき学校」という社会教育プログラム活動が行われています。多良木町教育委員会からの依頼もあり、福祉教養コースの生徒たちはこの活動に参加するため赴きました。会場にはおよそ20人の方が私たちを待っておられ、歓迎してくださいました。

 午前10時にプログラム開始。最初に生徒たちがダンスを披露。次に介護予防体操を行いました。そして、身体を動かしながらのゲームに興じました。生徒も交じって二班に分かれ、初めに大きなバレーボール、次に小さい卓球のボールを後ろの人に振り向かずに頭の上で手渡ししてリレーするもので、笑い声が絶えませんでした。休憩をはさんで、後半は福祉教養コースでどんなことを学習してきたかを生徒が発表し、最後は生徒と高齢者の方で協力しながら小物づくり(ピンクッション)に取り組みました。針穴にさっと糸を通される高齢者の方の慣れた手つきに感嘆の声を上げる生徒もいました。

 午前11時15分にプログラム終了。皆さんと別れを惜しんだ後、小学校の傍らを流れる槻木川の中にある天然の河川プール(コンクリートで簡単な囲いのみ)に生徒たちは素足で入り、冷たい清流の感触に喜んでいました。日頃は静かな別天地の山里に、高校生の明るく元気な声が響き渡りました。多良木高校所在地より気温が3~4度は低く、秋の気配を感じました。

 閉校まで残り半年余りですが、最後まで地域と共に歩みたいと思います。





16:22
2018/08/28

「永世監督」、「永世指導者」 ~ 野球部指導者の方への感謝状贈呈式

| by:校長

「永世監督」、「永世指導者」

~ 野球部指導者の方々への感謝状贈呈式 ~    

 8月28日(火)、多良木高校の2学期の始まりです。始業式の後、長年にわたって多良木高校野球部をご指導いただいた齋藤監督、馬場コーチ、尾方コーチに対して、学校として感謝の気持ちをお伝えする場を設けました

 本校の教育活動や部活動に対してご支援やご協力をいただいた方はたくさんいらっしゃいます。しかしながら、野球部の齋藤監督、馬場コーチ、尾方コーチは、その期間の長さ、そして関わりの深さが類を見ない特別な存在です。

 齋藤健二郎監督は教諭として10年、そして多良木高校校長をお務めの後、多良木町に単身残られて9年、通算19年間、監督としてご指導いただきました。熊本県高校野球界では百戦錬磨の名将として知られる方です。多良木高校をこよなく愛され、その発展、存続にご尽力いただき、心から敬意を表します。

 馬場正吾コーチは、本校野球部のOBであり、齋藤監督が若かりし頃の教え子に当たられます。高校時代はキャプテンを務められたそうです。斎藤監督を支えて、この8年間ご指導いただきました。

 尾方功一郎コーチも本校野球部のOBです。高校時代はキャッチャーで後にプロ野球で活躍された野田投手とバッテリーを組まれていました。監督、そしてコーチとして16年間ご指導いただきました。

 馬場コーチも尾方コーチもそれぞれお忙しい家業の傍ら、ほぼ毎日野球場に足を運んでいただく姿に私はただ頭が下がる思いでした。

齋藤監督に多良木高校野球部の「永世監督」、馬場コーチと尾方コーチには「永世指導者」の称号を記した感謝状を贈呈しました。生徒代表として野球部の平野主将がお礼の言葉を述べ、女子マネージャーが花束を贈りました。

 3人の指導者の方々から生徒たちに対して、「社会のルールを守る」、「平坦な道ばかりではない、挫折があっても負けるな」、「しっかり生きていってほしい」等の励ましの言葉を掛けていただきました。3人の指導者の方々は、多良木高校を最後まで支えて頂いたのです。


 



15:50
2018/08/21

夢の「甲子園出場!」 ~ マスターズ甲子園出場決定

| by:校長

夢の「甲子園出場!」 ~ マスターズ甲子園出場決定    


 「甲子園出場の夢が叶いました!」

 野球部OBの方から興奮気味の連絡が入ったのはお盆直前の8月12日(日)の夕方でした。私は一瞬何のことかわかりませんでしたが、説明を聞き、それが高校野球OBによる「マスターズ甲子園大会」であることを理解しました。

 高校時代に甲子園に出場できる球児は一握りの者です。高校を卒業しても野球を楽しむ「永遠の高校球児たち」のために「マスターズ甲子園」が創設され、今年が第15回を数えます。結束の強い多良木高校野球部OB会はこの「マスターズ甲子園」を目指してきましたが、昨年も県予選大会で準優勝に終わり、出場できずにいました。

 しかし、今年は、坂口幸法会長を中心にOBの気合の入り方が違っていたそうです。高校球児が果たせなかった夢を、閉校の年にOBが団結して叶えようと46人がチームに名を連ね、地区予選を勝ち上がり、地区代表の8校で県代表を決めるトーナメント大会(81112日、県営藤崎台球場)に臨み、見事優勝したのでした。マスターズ甲子園大会は1110日~11日開催です。

 マスターズ甲子園の出場選手は社会人野球、大学野球の現役選手及びプロ野球関係者では無いこと。そして試合は最初に34歳以下の選手が制限時間50分、次に35歳以上の選手が1時間10分プレーしての合計で戦います。34歳以下の若手メンバーには近年卒業し人吉球磨地域で仕事をしながら趣味で野球を続けている者が7人も名を連ねています。高校時代に果たせなかった夢を彼らは社会人になって実現したと云えるでしょう。

 甲子園出場を目指して半世紀にわたって戦ってきた多良木高校野球部は、その目標を実現することなく先月「終戦」を迎えました。甲子園出場は見果てぬ夢となりました。けれども、OBの方々の熱い思い、強い絆によって、閉校前に、野球の聖地である甲子園球場のスコアボードに「多良木」の名前が載ることになりました。OBの方々からの驚くべき贈り物です。

 夢は叶う、諦めなければ。野球部OBのマスターズ甲子園出場を学校あげて祝福したいと思います。


             マスターズ甲子園の県予選大会優勝



16:10
2018/08/06

魚雷を造った地下トンネル ~ 錦町の「人吉海軍航空基地」跡

| by:校長

魚雷を造った地下トンネル ~ 錦町の「人吉海軍航空基地」跡    


 「錦町の高原(たかんばる)に戦争中、海軍の基地があった。」と4年前に球磨郡に赴任した時に郷土史家の方から話を聞きました。調べてみると、戦局が激しさを増した昭和18年(1943年)11月に球磨川と川辺川に挟まれた丘陵地帯に建造が始められ、翌年2月に人吉海軍航空基地が発足しました。飛行機の搭乗員や整備士の養成が主目的の基地でした。今も残る2基の堅牢な石造りの隊門や慰霊碑等を巡り、往時を想像したものです。

 終戦から73年目の夏、この人吉海軍航空基地跡に資料館が開館しました。「ひみつの基地ミュージアム 錦町立人吉海軍航空基地資料館」(錦町木上西)です。昨日(日曜)見学に行きました。館内の展示では、昭和20年に地元の山中に墜落した零戦(ゼロ戦)の部品残骸が目を引きました。写真パネルでは、航空燃料不足を補うための松根油(しょうこんゆ)の製造の様子が印象に残りました。

 また、館外の戦争遺跡への見学会が実施されており、台地の縁の崖に穿たれた巨大な地下魚雷調整場に入ることができました。9万年前に噴火した阿蘇の溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)の崖を人力で掘削し造られた地下トンネルです。縦5m、横5mのトンネル入り口の前に立つと、向こうに広がる大きな闇が戦争を象徴しているかのような迫力を覚えます。この「魚雷」は、航空機の胴体に括り付け敵艦目がけて発射するものでした。昭和20年(1945年)に入るとアメリカ軍の空襲を受けるようになり、作戦室、兵舎、武器弾薬庫等の多くの施設を地下に設け、まさに秘密の地下基地の様相を呈したようです。

 昭和20年8月15日、終戦。結局、2年足らずの短い実働の基地でした。当時の滑走路跡の東端にミュージアムは建てられており、西に向かって伸びる狭い農道を展望できます。多くの古写真が残されていますが、今となっては海軍航空基地がここにあったことは幻のようです。しかし、だからこそ残存する戦争遺跡を直視する意義は大きいと思います。

 今日は平成30年(2018年)8月6日。広島に人類史上初めての原子爆弾が落とされて73年目を迎えました。


             今に残る地下魚雷調整場跡


 
            飛行場滑走路跡に当たる農道


15:46
2018/07/30

次のステージに進もう ~ 3年生進路ガイダンス実施

| by:校長

次のステージへ進もう ~ 3年生進路ガイダンス実施   

 7月17日(火)の野球部の「終戦」以来、寂しさに包まれていた多良木高校ですが、7月24日(火)の3年生進路ガイダンスで活気付きました。生徒67人に加え8割を超える保護者の出席を得て開催できました。

 全体会では専門学校講師によるマナー講座で面接の心構えや具体的なポイントを学び、就職、公務員、進学の分科会ではそれぞれ各担当から説明がありました。就職については7月1日から求人票の受付を始めており、例年以上に多くの企業から早々に求人があって、進路指導部の整理が追い付かない状況が紹介されました。あまたの企業から一社を選ぶために、就職希望の生徒たちは保護者も交えて担任、進路指導主事との四者面談が始まりました。進学の生徒たちも志望校決定が迫られます。自己の進路を決める夏です。

 これから生徒の皆さんが生きていく社会を予測することは困難です。なぜなら社会の変化のスピードがあまりに早いからです。深刻な少子高齢化、急速なAI(人工知能)の普及、経済のグローバル化はとどまることはありません。答えが最初からわかっているような仕事はAIに取って代わられることになるでしょう。一方、ロボットの導入により、単純な労働は職業としては消えていくものと思われます。人間にしかできない仕事は何か、人間にしかできないサービスは何かが求められる新しい時代が到来しています。

 将棋や囲碁の名人に勝つAIが出現して社会を驚かせました。多数のパターンから最適解を求める演算能力で人間がAIにかなうわけがありません。しかし、AIは知能であり、身体性は弱い段階にあります。AIを搭載している人型ロボットであっても、その動きはまだぎこちなく、人間には遠く及びません。このような状況から、これから社会へ出ていく高校生の皆さんには、改めて「知、徳、体」のバランスのとれた総合力を養って欲しいと望むのです。

 AIを使いこなせる力、ロボットを活用する力、それはより良く課題を解決していく思考力から生まれると思います。思考力の基盤は体系的知識です。未来を生きる基礎を培うために、この夏、大いに学びましょう。

 多良木高校3年生が次のステージに進みます。その先に進路実現が待っています。


      
           3年生進路ガイダンス(全体会)


15:47
2018/07/20

誰もいない野球場 ~ 多良木高校野球部の「終戦」

| by:校長

誰もいない野球場 ~ 多良木高校野球部の「終戦」   


 入道雲が湧く青空が広がり、真夏の強い日差しが降り注ぐ多良木高校の野球場に人影はありません。7月17日(火)、夏の熊本県大会3回戦で敗れ、最後の夏の多良木高校野球部の挑戦は終わりました。昨年までは、3年生が部活動から引退して下級生の新チームが発足し、秋の大会に向けて練習に汗を流したものです。しかし、来春閉校する多良木高校に2年生以下は在籍していません。選手の掛け声や、打球の音、齋藤監督や馬場コーチ、尾方コーチの叱咤激励などエネルギーに満ち溢れていたグラウンドが今は嘘のように静かです。

 「寂しくなりました」と学校周辺にお住いの方々が言われます。「もう野球部の賑やかな声が聞こえないと思うと、さびしくて仕方ありません」と年配のご婦人がため息をつきながら私に語られました。

 多良木高校野球部は昭和42年(1972年)に創部されましたが、専用の野球場が創られたのは2年後に現在の新校舎に移転してからです。グラウンドの整備が進み、平成15年には高さ15mのネットが周囲に張り巡らされました。「公立高校の野球場としては日本一」との齋藤監督の言葉が示すとおり、十分な練習環境が整ったのです。

 けれども、その施設以上に野球部の練習を支えたのは、学校周辺の地域の皆さんのご理解とご支援でした。練習の際、時々、ボールが防球ネットを超えて住宅の庭に飛び込んだり、屋根に当たって瓦を割ったり、自動車のボンネットに落ちたりとご迷惑をお掛けしました。練習試合の時は休日の早朝から高校生の大きな声が飛び交いました。しかし、生徒や顧問教師が謝りに伺うと、皆さん、笑顔で対応してくださいました。校長として4年目を迎えている私も、野球部の活動に関して周辺の住民の方々から苦情や抗議を受けたことは一度もありません。このことに深く感謝したいと思います。

 高校生がひたむきに野球に没頭する姿は、地域の方々に元気を届ける役割を担っていたのでしょう。その姿が消え、野球場には少しずつ夏草が伸び始めました。7月17日は、半世紀戦い続けた多良木高校野球部の「終戦」の日となったのです。この日が来ることを覚悟はしていましたが、やはり言いようのないさびしさに学校全体が包まれています。


        
            人影のない多良木高校野球場


14:39
2018/07/18

「見果てぬ夢、甲子園」

| by:校長

「見果てぬ夢、甲子園」   

 来年3月の閉校が迫る多良木高校にとって、初の甲子園出場を目指す最後の夏の挑戦が昨日終わりを告げました。県営八代球場で行われた3回戦で、シード校の有明高校に1対5で敗れました。試合後、平野主将が「地域の皆さんと一緒に甲子園に行きたかった」と涙ながらに挨拶しました。しかし、多くの保護者、同窓生、地域の方々から温かい言葉が掛けられ、最後は爽やかな笑顔で選手、マネージャーは学校に帰ってきました。

 閉校が定めの小さな学校の大きな挑戦でした。多良木高校の象徴的存在である野球部は大会前から注目されましたが、7月11日の1回戦(山鹿球場)、7月14日の2回戦(八代球場)、そして17日の3回戦とまさに地域の人々と共に戦い抜き、高校野球の原点を示すことができたと思います。1回戦から野球部員以外の全ての生徒と職員で全力応援しましたが、球場には保護者、同窓生、地域の応援隊、旧職員など驚くほど多くの方々が駆け付けて下さいました。

 メディアの方から、応援の人数や構成などをしばしば問われましたが、誰も把握できません。本校への応援は、組織的なものではありません。多良木高校と何かの関係がある方だけでなく、純粋な高校野球ファンや閉校する小さな学校の挑戦に共感を覚える一市民の方など実に多様な方々が自発的に足を運んでくださったものなのです。

 夢に向かって果敢に挑んだ野球部員を心から誇りに思うと共に、改めて甲子園という場所が遥か遠いところにあると実感しました。多良木高校は甲子園に出場することなく、来春、96年の歴史を閉じます。1967年(昭和42年)の創部以来、およそ半世紀の挑戦でしたが、「見果てぬ夢」のままとなりました。

 願わくは、7月1日の熊本県大会開会式で平野主将が選手宣誓で述べたとおり、多良木高校野球部の思いが高校野球の未来につながっていくことを祈念したいと思います。


         7月17日 多良木高校野球部最後の試合


 

15:28
2018/07/12

全力応援 ~ 野球部一回戦

| by:校長

全力応援 ~ 高校野球1回戦  

 先週後半、記録的な豪雨によって広く西日本一帯に甚大な被害が生じました。多数の尊い人命が失われてしまったことは痛恨の極みです。心から哀悼の意を捧げます。

 熊本県においても雨が続いたため、第100回全国高等学校野球選手権熊本大会の日程が順延となり、当初7月9日(月)に予定されていた多良木高校の1回戦が11日(水)に変更となりました。最後の夏に挑む多良木高校野球部にとって待ちに待った初戦です。3年生67人のうち野球部員が24人ですから、残り43人の生徒全員と職員で応援に行くことにしました。1回戦から学校あげての全力応援です。

 大型バス1台と中型バス1台で午前9時に多良木高校を出発。初戦の会場である山鹿市の球場まで高速道路を利用して2時間15分要しました。到着した私たちを出迎えたのは新聞、テレビ等の多くのメディアの方々でしたが、それ以上に驚いたのは、予想以上に大勢の方が多良木高校の応援に駆け付けてくださったことです。平日、そして球磨郡から遠く離れた県北の山鹿市で行われる1回戦であるにもかかわらず、多良木高校側スタンドは応援で満員状態となりました。保護者、同窓生、旧職員、そして有志の野球部応援隊、さらに直接は多良木高校、球磨郡と関係がなくても、多良木高校の最後の夏を応援したいという高校野球ファンの方がスタンドを埋めてくださり、胸が熱くなりました。

 「多良木高校の最後の夏の挑戦」の思いを、多くの人々が共有して下っていることに深く感謝します。閉校の年度にも関わらず、夢に向かって挑戦する高校生の姿勢が共感を呼ぶのだろうと思います。

 炎天下の八代工業高校との試合は、天候と同じく熱いものとなりました。応援に後押しされるかのように攻撃する多良木高校。しかし、八代工業高校も反撃し最後まで白熱した好試合でした。結果は10対5で勝ちましたが、試合後、八代工業高校のマネージャーの女子生徒から本校の平野キャプテンに対して折鶴が渡され、八代工業高校の分も勝ち進んでほしいとエールが送られました。

 多良木高校野球部の夢への挑戦は続きます。私たちも学校あげて全力応援を続けます。


                               地域の高齢者の方から野球部に贈られた寄せ書き

 



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